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月別アーカイブ: 10月 2016

渡辺悦子「グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く」(2016年)

23 日曜日 10月 2016

Posted by archivesstudio in arrangement, cataloguing

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Glasgow, Scotland, Tanakadate, University of Glasgow, University of Glasgow Library, Universityof Glasgow Archives Services

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This work is licensed under a Creative Commons Attribution 4.0 International License.

The author and editor/publisher thank the University of Glasgow Archive Services for its permission to use and publish the image of Dr Tanakadate’s matriculation slip (GB248 R8/5/10/8, University of Glasgow Archive Services) in this article. Although this article is published under the license stated above, the image of Dr Tanakadate’s matriculation slip (GB248 R8/5/10/8, University of Glasgow Archive Services) is not licensed under the same license, Creative Commons Attribution 4.0 International License. If you would like to re-use this article and include the image of Dr Tanakadate’s matriculation slip, please contact the University of Glasgow Archives Services and you should obtain permission for the image.
The author and editor/publisher also thank Mr. Akira Matsuura, great-grandson of Dr. Tanakadate for the permission to publish this essay, which was originally published in the fourth issue of  「田中舘愛橘研究会会誌」 Tanakadate Aikitsu Kenkyukai Kaishi (Journal of the Society of Tanakadate Aikitsu) , of which Mr. Matsuura is the editor and publisher.  (Updated on 24 October 2016)
著者と編者・発行者はグラスゴー大学アーカイブズが、同アーカイブズ所蔵の「愛橘博士の学籍登録簿(グラスゴー大学アーカイブズ GB248 R8/5/10/8)」を本ブログサイトへの利用を許諾してくださったことに感謝します。本エッセイはクリエイティブ・コモンズ表示 4.0 国際 (CC BY 4.0) の条件で提供されていますので、同条件にしたがう限り、営利目的も含め、どのような目的であっても、あらゆるメディアやフォーマットで資料を複製・再配布できますし、資料をリミックスしたり、改変したり、別の作品のベースにしたりできます。ただし、「愛橘博士の学籍登録簿(グラスゴー大学アーカイブズ GB248 R8/5/10/8)」はクリエイティブ・コモンズ表示 4.0 国際 (CC BY 4.0)適用の対象外です。この画像を利用するためには、グラスゴー大学アーカイブズにあらためて利用申請してください。
また、「田中舘愛橘研究会会誌」の編集・発行者である、松浦明氏(田中舘愛橘博士曾孫)には本エッセイのブログへの転載にあたってご快諾いただきました。心より感謝申し上げます。(2016年10月24日更新)

 

編集者より

以下で紹介する渡辺悦子さんによるエッセイ「グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く」は、英国スコットランドのグラスゴー大学アーカイブズ(文書館)に所蔵されている田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)博士関係日本語資料の整理の経験について書かれたものです。田中舘博士は岩手県出身の物理学者で、東京帝国大学教授、国際度量衡委員会委員、帝国学士院会員、文化勲章受章者としてのほか、ローマ字論者としても知られています。ウィキペディア「田中舘愛橘」のページへ

このエッセイは田中舘愛橘研究会が発行する「田中舘愛橘研究会会誌」第4号(2016年3月発行)の巻頭に掲載されたものです。同誌は基本的には会員への配付を想定した冊子で、愛橘博士の故郷である岩手県立図書館に1~3号が所蔵されていますが、一般には入手が困難な冊子と言えます。

編集者は、エッセイ中でふれられているアーカイブズ資料の編成arrangementの部分が、資料整理に携わる人々に有用であると感じ、著者の渡辺悦子さん、「田中舘愛橘研究会会誌」の発行者松浦明さんにインターネットでの公開をお勧めしたところ、即座に快諾していただけました。このエッセイをきっかけに、愛橘博士への関心が高まり、著者の渡辺さんが記しているように、「グラスゴー時代の愛橘博士についての本格的な研究」が始まってほしいと思います。さらに国境を超えて研究に励む科学者についての研究では、滞在先の大学や研究所のアーカイブズが強力な味方になってくれることを知っていただけたらと思います。

なお、本稿末尾に著者・渡辺悦子さんの略歴を掲載しました。   (松崎裕子、2016年10月24日記)

渡辺悦子「グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く」(2016年)

Etsuko Watanabe, “Dr Tanakadate’s life in Glasgow”(2016)

 

冊子版(Printed version) PDF
(冊子版記事に関する書誌情報は末尾に記載)

著者版(Author’s manuscript) PDF

 

[本文](著者版による)

グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く

渡辺 悦子

はじめに

私と愛橘博士との関係は、ストレートには説明しづらい。私は物理学者でもなく、科学史研究者でもない、愛橘博士を研究の対象としているわけでもない。もともと日本史を専攻し、京都で考古学の発掘調査等にたずさわっていた者であった。東日本大震災の際、被災地で多くの個人収蔵資料が津波の被害を受けたことを知った時、大学や地元の有志の方々が行う資料保存活動に参加した。その時、欧米諸国では、どんな小さな町にもアーカイブズという、町の歴史に関わる記録を保存する公的施設があることを知った。その制度や社会的位置づけを体感し、アーカイブズ学を学ぶために、この分野の先進国であるイギリスへ渡ったのがそもそもの始まりだったのである。

「アーカイブズ」という「施設」は、日本ではまだあまり知られていない。文書館、公文書館などの名で翻訳されることが多い施設で、簡単に言うならば、個人や団体、組織が作成・収受した記録を、現在・将来にわたって、管理・保存し、利用に供する機関(公的・民間を問わず)である。過去の記録は現在の意思決定のための重要な「情報」源となる。そのため、昔から記録は常に権力のそばで管理・統制・独占されてきた。それが、ヨーロッパでは1789年のフランス革命をきっかけとして、国・国民を支配・管理した記録は、国民に帰すべきという考え方が広がり、近代アーカイブズが誕生する。この考え方は民主主義を支える仕組みとして広く欧米諸国に拡大、国家や自治体政府の活動を国民がチェックするための機能として、社会に根付くこととなった。そのため、欧米諸国では、国や地方政府機関はもちろん、企業や病院、学校、市民団体にいたるまで、活動の記録を保全・保管する「アーカイブズ」を持つことが広く一般的となっている。

そういったアーカイブズで、資料の収集・保存を行い、資料を利用する人の手助けをする専門職がアーキビスト(archivist、或いはinformation professional情報専門職ともいわれ、一般に情報管理学コースの修士号を取得しているのがイギリスでは一般的)である。私はこのアーキビストとなることを目指し、イギリスに留学することにした。イギリスにはこういったアーカイブズ学/情報管理学を学べる大学が6つあり、そのうちの一つがグラスゴー大学だった。

グラスゴー大学は、1451年創立の、スコットランドで2番目に古い大学である(イギリス全土では4番目に古い)。そのため、創立以来550年以上にわたる様々な記録を保存するアーカイブズを持っている。グラスゴー大学アーカイブズは、そうした組織としての大学の記録を保存し、様々な資料収集を行う一方で(注1)、グラスゴー大学で学び、その後社会に貢献した卒業生達の大学在学時代に関わる資料の収集にも努めている。これは、グラスゴー大学が社会に対してどのような役割を果たしてきたかを証明するための活動となるからである。かつてこのグラスゴー大学に留学した愛橘博士の資料が収集対象となったのも、そういった活動の一環である。

私が愛橘博士の資料と出会ったきっかけは、そんなアーカイブズ学を学ぶ過程においてだった。グラスゴー大学アーカイブズのアーキビストが講師を務める講義の中で、ある日、大学が所蔵する資料の中には、外国人留学生のものもあることが紹介された。それがやがて日本人留学生の資料の話へと進むうち、大学アーカイブズがせっかく収集した資料だが、誰も日本語を読めないせいで、資料の整理が進まず、利用者に提供するための目録作成が止まっている資料があるとの説明がされた。かねてよりイギリスのアーカイブズの手法を実地で習得したいと希望していた私は、大学アーカイブズの資料整理にたずさわれるまたとない機会に遭遇し、早速お手伝いを申し出ることにした。そうした先に待ち受けていたのが、愛橘博士の資料だったのである。

2.グラスゴーとグラスゴー大学

さて、本論に入る前に、愛橘博士が2年間にわたり暮らしたグラスゴーの町と、博士が学んだグラスゴー大学の歴史について、まずは簡単に紹介してみよう。

Glasgow Central station

Glasgow Central station

グラスゴー・セントラル駅 外観

右の写真[原文のママ。上の写真のこと。編者注]は、イングランド方面からグラスゴーを訪れる人たちの玄関口となるグラスゴー・セントラル駅である。駅舎と一体化しているセントラルホテルの外観は、グラスゴーに到着した人々が最初に目にするこの町の威風となっているが、1888年、愛橘博士がグラスゴーに到着した頃、この駅はより南のクライド川に近いところにあったため、ロンドンを経由して汽車で北上した博士が到着したのはこの駅舎ではない。ただし、1900年代初頭、駅が現在の位置に移設された時に駅舎と一体化されることになったセントラルホテルは当時から存在し、グラスゴーに来た愛橘博士もみたであろう。この駅はその名の通り、現在のグラスゴーの中心地にある。

2-1.地理的特徴

グラスゴーはご存知の通り、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に属する国・スコットランドの都市で、人口は首都エジンバラの5倍にのぼる、同国最大の都市である。

Map of Scotland

Map of Scotland

同国の地理的特徴を簡単に紹介すると、大きくハイランドと呼ばれる高地帯とローランドと呼ばれる中央の低地帯にわかれる。グラスゴー都市圏の北限辺りから東西にハイランドライン(地質学的呼び名、ローランドとハイランドの境界)が走り、それより以北がハイランドとされる。一方、グラスゴーから南へ向かえば、すぐにSouthern Upland(南部高地帯)と呼ばれる山間部となる。言うなれば、スコットランドには、ローランド地域にしか都市が形成可能な平地がないという地理的状況となっており、そのわずかな平野部の東、北海側に首都エジンバラが、西部大西洋側にグラスゴーが位置していることになる。

気候は大まかに、暖流の北大西洋海流の恩恵を受ける比較的温暖な西部と、海流の影響が届かない寒冷な東にわかれる。しかしながら西部地域は、大西洋からの暖流に運ばれた水分を多く含む大気がハイランドの寒冷な高地にぶつかることにより、西部平地帯に多くの雨をもたらすこととなっている。「一年のうち300日が雨」と言われるほど多雨なグラスゴーだが、その要因はここにある(ただし、1日の数時間に雨が降るというだけで、一日中雨が降るという日は言われるほどに多くはない)。

2-2.町の歴史

続いて、グラスゴーの町の歴史的な背景を簡単にみてみよう。今でこそスコットランド最大の人口を抱える大都市となっているグラスゴーだが、実は歴史上、首都となったことはない。エジンバラをはじめ、ハリウッド映画「ブレイブ・ハート」で知られるスコットランドの英雄、ウィリアム・ウォレスがイングランドに対し歴史的勝利とおさめたスターリンの戦いで著名なスターリン、またクライド川河口にあるウォレスの盟友、ロバート王の拠点であったダンバートンなどの町が国の中心となってきたが、対するグラスゴーはというと、グラスゴー聖堂を中心とした教会自治都市であり、かつクライド川の水運を利用した商業都市としてはじまった町だった。

グラスゴーに大きな変化をもたらしたのはやはり産業革命である。その発展の前史ともいえるのが、クライド川に発展した水運業と、グラスゴーの町の立地そのものだった。川の河口は、現在もアメリカ軍の原潜基地となっているほどの天然の良港である上に、ブリテン島で新大陸アメリカに最も近い玄関口にあたったことから、グラスゴー商人は対アメリカ貿易の主導権を握ることに成功、新大陸から運び込まれるタバコ貿易の富を集中させた上で、アメリカ植民地の需要に応えるための布や鉄砲、皮製品等をとりそろえて輸出するという商業構造をつくる。タバコ貿易の富は、それら植民地へ輸出される製品を製造する工場の建設へつながり、こうしてその後の発展の基礎となる一大富を築くことになる。

第二の段階として、綿織物工業の発展があげられる。スコットランドの地場産業だった綿織物が、たばこ産業によって蓄積された資本、イングランドで発明された織機、スコットランドの水力資源の3つを得て一気に拡大、大規模な労働者の流入をよび、1830年代にはついに首都エジンバラの人口を抜いて、スコットランド最大の都市となる。

綿織物工業で得た富はやがて重工業化の基礎となり、さらなる産業革命が推し進められることになる。ランカスターの鉄鋼をもとに、造船と機関車製造等を中心とした産業が、グラスゴーを名実ともに世界的都市にする。イギリスではロンドンに次ぐ第2位の都市として、The second city of the Empireと呼ばれ、その富は大英帝国の繁栄を支えたと言われている。東のエジンバラと西のグラスゴーという両都市のライバル関係はつとに知られているが、首都エジンバラに対し、自分達こそがスコットランドの発展を築いてきたというグラスゴーの人々の自負に依るものであろう。

しかしながら第二次大戦後、グラスゴーの経済は急激に悪化、相次いで造船所は閉鎖され、一時は治安の悪さばかりで名の知られる町となってしまった。90年代以降、様々な改革により生まれ変わった町は、現在、ヨーロッパ諸国の人々にとって訪れたい町の上位に常にランクインするほど、芸術の街として知られている。

2-3.グラスゴー大学

グラスゴー大学の創建は1451年である。前項でも述べたとおり、グラスゴーの町は6世紀頃の創立と伝えられるグラスゴー大聖堂を中心に発展してきた。大学は、スコットランドで最初に創建されたセント・アンドリュース大学(故ダイアナ妃の長子・ウィリアム王子が学んだことで知られる)と同様に、聖職者教育からはじまった大学であり、当初はグラスゴー大聖堂が立地する現在のハイストリートの並びに設立された。ハイストリートは中世の街の中心であったが、現在はそれより西のブキャナンストリート、アーガイルストリートの両通り周辺が政治・商業の中心となっている。グラスゴーの町は、その後、さらに西へ西へと拡大の一途をたどることとなる。

イングランドのキリスト教が、16世紀、ヘンリー8世の離婚問題に端を発して英国国教会を新たに創設したことはよく知られているが、スコットランドはというと、同じく新教に位置付けられるとはいえ、カルヴァン派(長老派)と呼ばれる、謹厳実直を尊ぶ厳格な教義が伝統的に信仰される国である。イングランドの哲学や論理学、歴史学といった、いわゆる虚学に重きを据える学問的習慣に対し、実直なスコットランドの国民性が好んだのは実学である。グラスゴー大学はそのような実学を重んじるスコットランドの生んだ賜物であった。グラスゴー大学で現在世界的に高い評価を受けている学問分野は医学、獣医学等の分野だが、愛橘博士の在学当時に名声を博していたのは工学・機械学・造船学等である。このような工学分野を学科として設立したのは、グラスゴー大学が最古と言われており、スコットランドの産業革命を推進する原動力となった。

Gilmorehill Campus, the University of Glasgow

Gilmorehill Campus, the University of Glasgow

ギルモアの丘にそびえる本校舎

産業革命期、人口の集中により現在「シティー・センター」と呼ばれている地域の住環境が悪化してからは、富裕層は次第にウェスト・エンドと呼ばれる地域へと「疎開」していくことになるが、グラスゴー大学もその例外ではない。町の産業化、都市化とともに、いわゆるタウンvsガウン(注2)の争いが激化、また町のスラム化により、大学周辺の治安が悪化したことで、大学はウェスト・エンドへの移転を決定。1870年、現在のグラスゴー大学本校舎がギルモアの丘に建設された。建物の規模は現在も、イギリスにおいて2番目に大きい公共建築(1位はイングランドの国会議事堂)とされている。メイン・ゲートは、移転前からの建物を移築したもので、グラスゴー大学の中でも最も古い建築である。愛橘博士が大学に留学したのは1888年以降であるから、大学の移転からまだ20年もたっていない頃ということになる。

The main gate of the University of Glasgow

The main gate of the University of Glasgow

大学のメイン・ゲート

2-4.グラスゴー大学と日本人留学生

グラスゴー大学と日本人留学生との関係は、創価大学の北政巳氏や愛知大学の加藤詔士氏の著作が詳しい。実直かつ合理主義を重んじるスコットランドが実学を重んじたことは先に触れたとおりだが、この実学、特に工学や造船学といった、重工業を下支えする学問の盛んだったグラスゴー大学は、殖産興業で近代化を進める明治政府の関心を引いた。そうして最初に招へいされたのが、グラスゴー大学の教授、ヘンリー・ダイアー(1848-1918)である。ダイアーは後に東京大学工学部となる工部省工学寮に招聘され、1873年から1882年の10年に及ぶ在日期間中に、日本の工学専門教育の礎を築いた。ダイアーをはじめとし、彼が引き連れてきたスコットランドのお雇い教師達で後に愛橘博士と深いつながりを持つこととなるアルフレッド・ユーイング(1855-1935)やカーギル・ノット(1856-1922)は、多くの日本人学生をグラスゴー大学へ留学させることに尽力した。そうして派遣された明治の近代化を担う日本の若者は、スコットランド教育の精神でもある、実学を学んだのである。明治の近代化の時期の日本人留学生は官費・私費を含めると3,200人ほどに及ぶと言われるが、そのうちの実に50名程がグラスゴー大学へ留学している。余談となるが、大学アーカイブズで日本人留学生の記録を整理する中、当時マサチューセッツ工科大学行きの拝命を受けた某学生が、そんな二流大学ではなくグラスゴー大に派遣させよ頑としてゆずらなかったという記録を目にした。グラスゴー大学の当時の日本における位置づけの高さが垣間見えるものである。

アルフレッド・ユーイングのもとで学び、カーギル・ノット教授と日本で最初の地震のハザードマップを作ったとされる愛橘博士もまた、明治政府からグラスゴー大学行きを拝命した、公費留学生の一人であった。

3.大学アーカイブズと愛橘資料

さて、グラスゴー大学が所蔵する愛橘資料である。

愛橘博士資料がグラスゴー大学アーカイブズに収集されているのは、先ほど述べたように、大学が社会に対して果たしてきた役割を説明するためであり、これを「大学機関をより広い社会的文脈に位置付けるため」と説明している(注3)。当該研究者が属する学術分野等における国内外の評価、当該研究者のグラスゴー大学及び付属機関での機関の成長・発展への貢献度、および地域や国家への貢献度を斟酌し、ふさわしいとされた卒業生達の、大学在学時代に関わる資料がその収集の対象となるわけである。愛橘博士の記録はまさに、その収集方針に合致しているであろう。

グラスゴー大学アーカイブズが所蔵する愛橘博士関連の資料は二種類ある。一つは、学生登録証や成績表といった、いわゆる教育機関としての組織運営・管理の過程で作成された大学の機関資料である。もう一つが、愛橘博士がグラスゴー大学に在学していた、主に1888年~90年を中心とした時期に愛橘博士が受け取った親戚・友人や同僚からの手紙や買い物の領収書、小切手記録といったものであり、愛橘博士の曾孫である松浦明氏がその複製物を大学アーカイブズに寄贈したものである。本稿が扱おうとしているのは、主にこの、大量の手紙類となる。松浦氏が寄贈された資料は、複写物とは言いながら、上の写真[原文のママ。下の写真のこと。編者注]のように、透明のクリアファイルに丁寧に納められ、保存されている。

Dr. Tanakadate Aikitsu Records, the University of Glasgow Archives Services

Dr. Tanakadate Aikitsu Records, the University of Glasgow Archives Services

大学アーカイブズで保管される愛橘資料 (グラスゴー大学アーカイブズ提供)

アーカイブズでは、資料を出所原則で資料群ごとにまとまりをつくり、それぞれのまとまりごと、例えば記録の作成者別に分類し、さらにそれを時系列に編成するというように、様々なカテゴリーを階層的に編成して整理するという習慣がある。その階層化の方法には、様々なパターンがあるが、それらは資料群全体を見渡して見えてくる記録の構成やまとまりとしての特徴、あるいは各アーカイブズ機関における慣習などで、それぞれに異なってくるものである。

愛橘博士の資料には英語で書かれたものと日本語で書かれたものがあるわけだが、英語で書かれたものはすでにグラスゴー大学アーカイブズのボランティアによってある程度目録が作られていたので、私が担当したのは主に日本語で書かれた記録となる。

資料は、大学アーカイブズのアーキビストと相談しながら、次ページ図[原文のママ。下の図のこと。編者注]のような形で整理・分類し、目録作成を行った。まず、資料群の大部分を構成する「手紙」と、「領収書」、この二つが愛橘博士の同時代資料となる。ついで「研究会誌・パンフレット」「写真」「その他」と分類したものは、グラスゴー大学と資料を寄贈した松浦氏とのやり取りの中で蓄積された資料となる。「その他」に分類されているものは、愛橘博士の没後50周年を記念して造られた、松浦明氏デザインで知られる切手や、松浦氏がアーカイブズ宛に送られた手紙である。松浦氏が大学アーカイブズに寄付金を包まれた際の「水引」までもが、その資料請求番号を付与され、歴史資料として大切に保存されている。公開資料となっていることから、資料番号を記載し適切な手続きをとれば、この水引を見ることも可能である。

The arrangement of Dr. Tanakadate's records [UGC172]

The arrangement of Dr. Tanakadate’s records [UGC172]

田中舘愛橘資料の編成 [UGC172] 

さて、メインとなる手紙である。この分類については、おもに友人と家族、仕事・取引関係に大別したが、目録作成の際に指導いただいたアーキビストより、ケルビン卿からの手紙は他の手紙群とは分けるよう指示を受けた。ケルビン卿(ウィリアム・トムソン、1824-1907)はグラスゴー大学で愛橘博士の指導教授であった人で、当時世界最高の物理学者の一人である。10歳にして父親が教鞭をとるグラスゴー大学に入学、その後ケンブリッジ大で学んだ後、22歳でグラスゴー大学の物理学教授に就任、1904年には大学の総長となっている。物理学のあらゆる分野に業績を残したと言われ、その世界にあまり詳しくなくとも、物理で使用される温度の単位で卿の名に由来する「ケルビン」は、聞いたことがある人も多いだろう。イギリスの勲章で最高の栄誉とされるメリット勲章の創設時の受賞メンバーであり、その遺体は死後、ウェストミンスター寺院のアイザック・ニュートンの隣に埋葬された。生前は様々な大学からの誘いを受けるも、生涯グラスゴー大学を離れることはなく、そのことからスコットランドやグラスゴー、そしてグラスゴー大学にとっては特別な人と聞かされたものである。そのケルビン卿からの書簡については、「ケルビン卿」で資料を検索する利用者が見込まれることから、他から別にカテゴリーを立てるよう言われたわけだが、こういった分け方はアーカイブズでは特殊といえよう。

4.資料から見える愛橘博士の生活

愛橘博士の生立ちや日本での学生生活はもちろん、また帰国後に東京大学で教鞭をとられるようになって以降の物理学会等での研究をはじめとする世界的活躍はよく知られるところであるが、実はグラスゴーでの生活についてはあまり知られていないと聞く。本章では、筆者が博士の資料の目録を作成する際のメモの記述をもとに、博士のグラスゴーでの生活の一端を、眺めてみたい。

先にお断りしておくが、私は一介のアーキビストであり、歴史学者ではない。よって、資料の内容にかかわる歴史的・社会的文脈の位置づけについての分析を試みるものではない。また本稿を書くにあたって手元にある資料はというと、上述のようにグラスゴー大学アーカイブズで作業をしていた際に作成した、英語での目録のみである。人名についての漢字表記は失われているし、またそもそもくずし字を読むための訓練を受けたわけでもない私が辞書を片手に読み下した博士の友人たちの流麗な手稿を読みおおせたとはとても思えない。したがって、以下には多分に私の想像を働かせて描いた、推測としてお読みいただければ幸いである。

さて、博士がグラスゴーに来たのは人生のどの時期にあたるのか、簡単に確認してから本題に入ってみたい。

ご存知の通り、博士は1856年(安政3年)、南部盛岡藩に誕生する。1872年(明治5年)、一家で上京、その後慶應義塾、開成学校予科を経て、1878年に東京大学理学部へ入学。1882年同大学を卒業し准教授、翌年助教授となる。グラスゴー大学への公費留学は、1888年から1890年、博士が32歳~33歳の頃にあたる。1891年の帰国後、すぐに東京大学教授を拝命。そんな学問一筋に生きてきた博士が妻キヨ子と結婚したのは、38歳(1894年)の時であったという。

前章でも述べたように、グラスゴー大学が所蔵する愛橘博士関連の資料は、そのほとんどが松浦氏が寄贈した複写物である。その大半は博士がグラスゴー大学在学時に受け取った親族・友人からの手紙であり、その他、銀行や輸送会社との間で交わされたビジネスレターや、博士が物品を購入した際に受け取った領収書などで構成される。親族、友人の手紙は、愛橘博士が自身の身に起こった出来事を書き送った手紙に対する応答であろうし、博士の身にこれから起こる出来事(たとえばお茶会や旅行の誘い、出版の相談等)であろう。領収書からは時々に博士が必要としたモノがうかがえるはずである。これらを見ることにより、愛橘博士のグラスゴーでの生活を、いくばくか再現してみようというわけである(注4)。

以下、順を追って愛橘博士のグラスゴーでの生活を、根拠となる手紙を示しながら、追ってみることにしよう。

4-1.到着

愛橘博士が日本を旅立ったのは1月のことだが、1888年5月1日付のフクシゲ氏の手紙によると、愛橘博士に対するロンドンでの非礼を詫びるような内容から察するに、ロンドンを経由してグラスゴーに到着したと思われる。また、予定より20日ほど長くかかったことで所持金の心配をする下斗米典八郎氏からの手紙(1888年5月14日)も見られることから、到着は同年の3月頃であったのだろう(注5)。愛橘博士の無事の到着を喜ぶ親戚・友人からの多くの手紙は5月中旬付けとなっていることから、博士は到着後まもなく、彼ら宛の手紙を書いたのであろう。

グラスゴー大学に残る学籍登録簿(1888 Summer Session Matriculation Album)によれば、愛橘博士の滞在先はアーリントン通り(Arlington Street)22番地となっている。ちょうどグラスゴーのシティー・センターと呼ばれるエリアと大学の中間の辺りに位置し、付近を通った筆者の経験から言うと、大学までは徒歩で約15~20分ほどの距離である。

少し余談となるが、スコットランドをはじめとし、イギリスや欧米諸国ではFamily Historyと呼ばれる、自分の家族の歴史や家系図を調べることが近年、人々の間で人気である。そういった活動で最も利用される機関が、出生や結婚、死亡記録といった様々な公的記録を所蔵するアーカイブズ(公文書館)である。調査の手助けをするために、アーカイブズが所蔵する記録のデータベース化が様々な形で進められている(注6)。そのデータベースを頼りに調べたところ、愛橘博士が滞在していた頃のアーリントン通り(Arlington Street)22番地には、約8世帯程が居住者として記録にあらわれており、集合住宅であったと想像できる。博士の下宿先となったファーガソン夫人についても、記録に見える。ちなみにファーガソン夫人がアーリントン通り22番地に住んでいたのは1882年~1888年とされる。後述するが、博士は学期がはじまる9月に転居していることから、ファーガソン夫人自身の転居により、引越を余儀なくされたのかもしれない。なお、愛橘博士は、夫人からの夕食へのお誘いのカードを受け取っている(6月5日付)。

4-2.Social life

愛橘博士がグラスゴーに到着した頃、すでに何人かの日本人留学生が同大学で学んでいた。そのうちの一人で、愛橘博士がグラスゴーに到着して間もないころから頻繁に交流をしている一人が、真野文二(1861~1946)氏である。真野氏は東京帝国大学工学部の前身・工部大学校の出身で、卒業後助教授として在籍していた。真野氏がグラスゴー大学に学籍を置いていたのは1886~87年であるが、1889年に帰国するまで、イギリス各地の工場等で技術習得に励んだ。愛橘博士宛の手紙の中には、真野氏がロンドンの観光名所として知られるタワー・ブリッジ(1886年着工、1894年完成)の水力機関の設計にたずさわったことが見える(c1888年11月26日付の手紙)。グラスゴー大学在学中は、物理で首席、工学・機械学で次席、また工学の筆記試験での成績優秀者に送られるジョージ・ハーヴェイ賞を受賞するなど、非常に優秀な成績を修めている。愛橘博士にとっては、同じ分野を専攻した先輩留学生として心強い存在だったに違いない。

真野氏がグラスゴーに滞在していた頃は、「ハリソン氏」宅に下宿していたらしく、愛橘博士を下宿先に招待している様子が見られる(1888年4月5日付、5月8日付手紙等)。先輩留学生として、愛橘博士が少しでも早くグラスゴーの生活に馴染めるよう、配慮してくれたのかもしれない。

A view of the University of Glasgow from Kelvingrobe Park

A view of the University of Glasgow from Kelvingrobe Park

ケルビングローブ公園より、大学をのぞむ

5月8日付の真野氏からの手紙によれば、愛橘博士は氏と一緒に、グラスゴー大学の敷地の南隣に位置するケルビングローブ公園で開催されていた国際科学産業博覧会(International Exhibition of Science, Art and Industry)に訪れている。この博覧会はグラスゴーの町にとって初めて開催された国際博覧会であり、期間は5月8日から11月10日にわたるものだった。愛橘博士はまさに、開幕初日に会場を訪れたようである(博士はまた、博覧会と美術展覧会のシーズンチケットを購入している)。この後、愛橘博士の友人が国内外から博士を訪ねてきているが、博士に会うだけでなく、この展覧会も目当てだったかもしれない。博士を訪ねてきた友人は以下のとおりである。

・アメリカのピッツバークより、大木氏(7月)
・ケンブリッジより、稲垣氏(9月)
・パリより、和田氏(9月)
・S.ショウ氏(9月、居所については不明)

愛橘博士のグラスゴーでの生活を彩ったのは、博覧会や友人の訪問だけではない。博士は多くの「女性」から、お茶や食事の誘いを受けている。それを一覧にすると、以下のようになる。

この頃のグラスゴーは先にも述べたとおり、産業革命で富を得た人々がウェスト・エンドに多く居住していたため、有閑階級が社交界を形成し、サロンを開いて時々の「旬」な人を呼んで話をきくといったイングランド的慣習が広まっていたという。こういったサロンには、家の主人ではなくその夫人から招待を受けるのが慣例だったというから、おそらく上記の誘いのほとんどは、いわゆる「サロン」的集まりへの招待であったろう。

とはいえ、愛橘博士は誘いを受けただけではない。以下のように、女性にプレゼントを贈ったり、お茶に誘ったり等のことをされている様子もうかがえる。

興味をそそるのは、8月5日付の岩田武弥太氏(1887年から92年まで留学していた人物。愛橘博士が来るまで、アーリントン通り22番地のファーガソン夫人宅に住んでいたようなので、博士の住まいは岩田氏に紹介されたのかもしれない)の手紙である。それによると、愛橘博士がこの頃、女性から「不愉快な経験」を受け非常に立腹していたらしい。この不愉快な経験がいかなるものであったかはわからないが、お茶に誘うこともあったエリザベス・フィンドレイさんか、上記表には記載していないが、愛橘博士の家に遊びに来ている様子のあるファニー・ハリソンさん(真野氏の下宿先、ハリソン家に関わる人物と思われる)等と、なにがしかの関係を邪推してみたくもなる。あくまで、筆者の邪推に過ぎないことを強調しておくが、勉学だけでなかった愛橘博士のグラスゴーの日々を思うと、少しほほえましく感じてしまうのは筆者だけでないだろう。

4-3.学業など

愛橘博士のグラスゴーでの学業の様子を簡単に紹介して、本章を終わりたいと思う。

愛橘博士は、大学に学籍を置きながらも、学生というよりはケルビン卿の研究室の「Lab scholar」として所属したと思われる(1888年、澤井氏の手紙)。4月にはグラスゴー大学物理学研究会(Physical Society of Glasgow University)に入会。イギリスの大学は9月から新学期がスタートするため、博士はまず、「Summer Session」と呼ばれる夏期講座に在籍したらしい。以後、実験の日々であった様子がうかがえる。

7月頃のケルビン卿とのやりとりをみると、実験が不調続きであったことがうかがえる(7月1日付、ケルビン卿の手紙)。同じ頃、友人の岩田氏から、酒の飲みすぎを注意する手紙を受け取っている辺り、この不調はよほど苦しかったのかもしれない。筆者は物理学については全くの門外漢であるが、同月11日にケルビン卿より「弾道曲線」(ballistic throws)の観察について助言を受けている。この時の不調がいつまで続いていたかは不明だが、8月頃に、愛橘博士の日本での師であり研究仲間であったカーギル・ノット氏が、博士の体調を気遣う手紙を9月頃に送っていることから、やはり7月頃に気分がすぐれないことをノット氏宛に伝えたのであろう。博士はその後も何度か体調をくずすことがあったと思われ、かかりつけ医だったと思われるカーク医師に、年間の治療費2ポンド18シリングを支払っている(12月19日付領収書)。

9月、愛橘博士は、グラスゴー大学の自然哲学科の物理学研究室に入る。John Scott Clothier社の領収書によれば、この頃、8ギニーでモーニングコート、ベスト、ズボンの三つ揃えを購入しており(9月11日付)、入学に関わる何らかの式典のために揃えたのであろうか。当時、執事の年収が50ポンド前後だったと言われる時代の8ギニー(1ギニーが1ポンド1シリングに相当)であるから、なかなかのものである。

University of Glasgow Archives Services, University collection, GB248 R8/5/10/8

University of Glasgow Archives Services, University collection, GB248 R8/5/10/8

愛橘博士の学籍登録簿(グラスゴー大学アーカイブズ所蔵)

前頁の[原文のママ。上に掲載のもの。編者注]1888-89年の博士の学籍登録簿を見ると、住所がパーティック(Partick)のアッシュグローブ・テラス(Ashgrove Terrace)6番地となっている。この引越は9月上旬のものであったと思われ、新しい大家のドウ夫人に、9月4日付で家賃と洗濯代あわせて2ポンド17シリングを支払っている。このアッシュグローブ・テラスは現在、ガードナー通り(Gardner St)と名前を変えているが、記録によるとこの住所は三世帯が暮らす集合住宅で、ドウ夫人らが最初の居住者のようであるから、新築であったかもしれない。大学からはちょうど真西に徒歩で15分ほどの距離である。筆者は博士が住んだこの地域から10分と離れていないハインドランドに一時期住んでいたが、たまたま意図せず通りがかった際、その見開けた眺望のすばらしさにシャッターを切ったのが、上の写真[原文のママ。下の写真のこと。編者注]である。

A view from Ashgrove Terrace

A view from Ashgrove Terrace

アッシュグローブ・テラスからの眺め

10月、愛橘博士がグラスゴーに到着して以来、懇意にしていた真野氏(ニュー・カッスルのアームストロング社へ)と進経太氏(マンチェスターへ)が相次いでグラスゴーを去り、またカーギル・ノット氏が日本から博士のために送付してくれた100冊をこえる書籍が、船便で運ばれる最中に海水をかぶる被害にあう等(10月5~25日付、内外用達会社からの手紙)、つらい出来事が相次いで起きるが、一方で、積み上げてきた研究の成果が評価を受け始める時期でもあった。カーギル・ノット氏との共著 “Magnetic Survey of all Japan”が出版され、世界へと発信されたのである。

この共著については、7月~8月付のノット氏からの校正や判型のコスト等に関する手紙から見えるものである。これらの手紙を受け、博士がイギリスの出版社と取引をしている様子が見られる。筆者の読解力の低さより確実なことは言えないのだが、この取引先はどうも、現在も学術雑誌の出版会社で著名なTaylor & Francis社だったのではないかと思われる(10月、11月の同社からのメモ書き)。共著は王立協会をはじめ、British Associationや、諸外国の気象庁等にも送付されたらしい。10月以降、愛橘博士は各地の研究者より、称賛と感謝の手紙を受け取っている。

博士の留学生活は、グラスゴーでは1890年まで続き、その後ベルリンでのさらなる研鑽をへて、日本へと帰国するのである。

おわりに

以上、愛橘博士が暮らしたスコットランドとグラスゴー、そしてグラスゴー大学の紹介から、博士のグラスゴーでの生活をたどる拙稿におつきあいいただいた。

グラスゴーという街で私自身が体験したことであるが、慣れない外国での暮らしの中で、この国の人々の優しさ・おおらかさに、幾度助けられたか知れない。厳しい自然環境と、イングランドとの決して対等とは言えない長い確執の歴史の中ではぐくまれた人の痛みを知る気質をもつと言われるスコットランドの人々の思いやりは、厳しい学業を続ける中で、きっと博士の心を助けたことと思う。決して学業のみに没頭するだけにとどまらなかった、博士の豊かなグラスゴーの日々の一端を、お伝えできていれば幸いである。そしてまた、本稿を契機に、グラスゴー時代の愛橘博士についての本格的な研究がはじまることを祈念し、筆を擱くものとする。

[注]

(注1)グラズゴー大学アーカイブズはスコットランド、特にグラスゴーを中心に活動した企業資料(Business Archives)の収集活動で世界的に知られたアーカイブズであり、その規模はヨーロッパ一と言われている。

(注2)タウン=大学のある町に住む人々と、ガウン=大学関係者。黒い学服・ガウンを着ていることからそう呼ばれる。中世以来、この二者の間には、言葉や文化、異なる法制度等から様々な抗争が起こった。オックスフォードやケンブリッジ等の大学町の例はよく知られる。

(注3)グラスゴー大学アーカイブズ収集方針(http://www.gla.ac.uk/media/media_61203_en.pdf)より。

(注4)博士の手紙から、その日々をできるかぎり時系列に再現しようとするものではあるが、グラスゴーやその周辺にいる人々とのやり取りは手紙に記載された日付とほぼ同時期に起こった出来事と考えられる一方で、例えば日本から送付されたものの場合、博士がその内容を知ったのは当然、記載された日付の約一ヶ月後程度となることを、留意点として示しておく。

(注5)当時の日本―イギリスの船旅がどの程度かかるかは、例えば1867年パリ万博の際、使節として渡欧した幕臣一行が横浜―マルセイユ間を約50日で旅していることがある程度の目安となろう。

(注6) http://www.glasgowwestaddress.co.uk/ は、1836年から1915年の間の、グラスゴーのウェスト・エンドの各住所と世帯について簡単に検索できる民間のHPである。

〈参考文献〉

・北政巳『スコットランドと近代日本―グラスゴウ大学の「東洋のイギリス」創出への貢献』丸善プラネット株式会社、2001年

・加藤詔士「日本・スコットランド教育文化交流の諸相 ―明治日本とグラスゴウ―」(名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要56巻第 2号)、2009年

・小林照夫『スコットランド首都圏形成史―都市と交通の文化史論―』成山堂書店、1996年

・中村清二『田中館愛橘先生』中央公論社、1943年

・T.M. Devine, “The Scottish Nation 1700-2000”, The Penguin Press, 1999

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《著者について》

渡辺 悦子(わたなべ えつこ)

同志社大学文学部卒、同大学院修士課程(日本文化史学、修士)修了。同大学歴史資料館にて埋蔵文化財調査等に従事。その後、独立行政法人の法務処理部門等に在職。英国エセックス大学大学院歴史学科(ディプロマ取得修了)、同グラスゴー大学大学院修士課程(情報管理・保存学専攻、修士)修了。2013年より独立行政法人国立公文書館に勤務、現在に至る。


[書誌情報]

タイトル:グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く
著者:渡辺 悦子
出版年:2016-03
資料の種別:記事・論文
掲載誌名:田中舘愛橘研究会会誌
掲載号:4
掲載ページ:2-28
出版者:田中舘愛橘研究会

[所蔵情報]

「田中舘愛橘研究会会誌」は岩手県立図書館に第1~3号が所蔵されています。
http://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&rft.title=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%88%98%E6%84%9B%E6%A9%98%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A&search_mode=advanced

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JIIMA/ECM委員会「ECMサミット2016-パネルディスカッション ワークスタイル変革とECM」(2016年10月20日)に参加

22 土曜日 10月 2016

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クラウド, デジタル, デジタルトランスフォーメーション, モバイル, リモートワーク, ワークスタイル, BPR, ECM, EFSS, 働き方

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JIIMA ECM2016

公益社団法人日本文書情報マネジメント協会(JIIMA)主催の「eドキュメントジャパン2016/54th文書情報マネジメントショウ」「eドキュメントフォーラム」に行ってきました。

以下にまとめたのは、2日目(10/20)に開催されたJIIMA ECM(統合文書マネジメント)委員会主催フォーラム「【ECMサミット】ワークスタイル変革とECM 」のレポートです。司会・ナビゲータはECM委員会委員長で株式会社イージフ副社長CTOの石井昭紀さん。石井さんには松崎も編訳者として関わった『レコード・マネジメント・ハンドブック:記録管理・アーカイブズ管理のための』に関する文献紹介を国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)『情報管理』Vol. 59 (2016) No. 7にご執筆いただきました。

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

最初にナビゲータの石井氏より、ECM委員会に関する簡単な紹介がありました。ECM委員会とはJIIMAのナレッジ系委員会で年に2回、競合ベンダーによるプレゼンテーションの場としてECMサミットを行っています。さらに、今回のテーマ「ワークスタイル変革=働き方変革」について、ワークスタイルとはそもそも何か、なぜ変革する必要があるのかというお話がありました。それによると近年ワークスタイル変革の必要が言われている理由の一つは、社会の要請。例として「働き方改革に関する総理発言・閣議決定資料」(2016年9月、内閣官房働き方改革実現推進室)が上げられていました。世の中で提示されている解決策、展望にはテレワーク、リモートワークがあります。

関連するキーワードは

テレワーク支援
会議システム
ペーパーレス
グループウェア
オフィスデザイン

などです。石井さんによると「テレワークやリモートワークは新しい話題ではない、なぜそれが今また求められているのかというと、

・近年の技術的変化。コミュニケーションのデジタル化
・モバイルを含めた通信環境の整備、デジタルデータは場所に依存しない
・ボーンデジタルな情報の増加、業務に必要な情報はどんどんデジタルになっている

といった最近の急激な環境変化がある」からということでした。

これに続いて、ECMを扱うベンダー4社のパネリスト(日本IBMの三ツ矢さん、ハイランドソフトウェアの金井さん、オープンテキストの市野郷さん、富士通総研の小林さん)から、

◎ワークスタイル変革をどうとらえるのか
◎成功要因
◎利便性
◎失敗例、注意点

に関してお話がありました。下のメモは松崎が聞き取った内容です(各発言者名は省略)。

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◆パネルディスカッション「ワークスタイル変革とECM」◆

◎ワークスタイル変革をどうとらえるのか

・(自己紹介)ECM実現のためのソフトウェアの営業、開発に携わる。会社としてのグローバルなミッションWork place as a mission がある。それは「生産性向上」「能力向上:トップタレントを引き留める」「場所の提供」。これらの実現のためのツールとしてITがある。

・会社がやってきたこととして、柔軟な働き方の導入がある。「働く時間の柔軟性」「働く場所の柔軟性」。オフィスには固定した席をもたずに、キャビネットだけ。2009年ぐらいからホームオフィスも導入している。

・コンサルタントや営業など顧客の近くで作業する社員はモバイルワーカーで、新橋や品川などにサテライトオフィスを持っている。チームミーティング以外はそこで働くことも多い。結果を出してください。

・一定の勤続年数がありある程度信頼できる人は在宅で勤務できる(eワーク、ホームオフィス)。社員全員がオフィスに出勤した場合、全員が座ることのできる席数はない。

・(自己紹介)本社はアメリカ、創業25年。自分は営業、営業推進等に従事。自分自身もテレワークをしている。自宅で仕事。ワーキングマザー。オフィスも必要があれば行くが、基本は家。上司はシンガポールにいる。話すときはメールやチャットなど。

・「ワークスタイル変革」にはいろいろな定義がある。一つの定義はICTの観点を駆使して働くこと。

・ワークスタイル変革は新しいことではない。これまでも議論されてきた。

・これまでの顧客の要求は定型業務の効率化などであった。いまの状況はオフィスで働いているのと同等の生産性を確保すること。

・ワークスタイル変革に関する会社の解釈は「情報の一元的管理」つまり単一のエンタプライズ情報管理プラットフォームで企業内のさまざまな文書情報を管理することと結びついている。「キャプチャ、コンテンツ管理、既存システムとの連携」「単一のセキュアな情報基盤、プラットフォーム上で管理」「ワンプラットフォームの推進」「情報管理基盤の提供」

・ワークスタイル変革とワンプラットフォームの関係は? 「外にいても担当者に連絡しなくてもいい。必要な情報を見たいときに見ることができる。そういうシステムを提供すること」。

・日本だけではなく他国でもワークスタイル変革は必要なのか? アメリカでは10年、15年前から議論されている。自分の会社は多国籍で業務しているので、ある意味で今に限った話ではない。本社のあるアメリカではリモートオフィスなどはずっと前から使われている。

・(自己紹介)会社はカナダに本社がある。全文検索テクノロジーからビジネスを立ち上げた会社。全世界で1億人ぐらいがユーザー。フォーチュン500社のうち90パーセントが利用している。日本国内にグループ会社がある。

・オフィスにいなくてもビジネスができる。

・ワークスタイル変革をECMベンダーとしてどうとらえるか? CEO&CTOは「デジタル・トランスフォーメーションに備える必要がある。ITを使う、ITの浸透によってわれわれの生活をよい方向に変化させていく」、そういうことを言っている。

・日本国内でもAI(人工知能)、VR(バーチャルリアリティ)、IT技術を自社のビジネスモデルに組み込んでいく、そういう変化が起こりつつある。

・デジタルトランスフォーメンションへのドライバーとしては、ワークフォース(従業員)の変化やデジタル世代の顧客の登場がある。ワークフォース変化とは、つまり人材の確保にある。

・デジタルトランスフォーメーションとITの利活用はどう違うのか?

・(自己紹介)会社はメーカーのシンクタンクで自分はコンサルティングを行っている。

・ワークスタイル変革をどうとらえるか?
わかりやすく。特定の業務を変えていく=BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)
共通の部分を変えていくことがワークスタイル変革
定型的な業務の手順を変えて効率化して、価値を生む=BPR
非定型的な仕事を最適化して、イノベーションを生み出していくことが働き方変革
ホワイトカラーの働き方は非定型的な仕事である。この部分を変えていくことがワークスタイル変革

・グローバルで働いているところからワークスタイル変革が始まったのではないか。

・日本はコンシューマ(消費者)としてのデジタル化が先に進んだ。仕事の仕方のほうの変革は後から。

・ECMのツールを使いこなせないと働き方の変革はできない。ECMはインフラになる。

・コンサルタントの立場はビジョンを作ることとルールをつくる(人事、評価制度、会議の仕方、働く人の意識engagementなどに関わる)。

・東京証券取引所は経済産業省とともに健康経営銘柄を指定している。そのほかに健康経営優良法人ホワイト500という制度も立ちあがっている。ワークスタイル変革のポテンシャルを図る指標などもある。

◎成功要因は?

・フリーアドレス、インフラ、モバイル

・意識改革が一番強力な要因

・ワークスタイルのオンデマンド変革。自分の会社は日本では在宅が4%、世界平均は12%

・顧客と接触する職種の場合、数字が上がっていないでオフィスにいると物理的にオフィスを使えないようにする、というようなこともありえる。この部分は心の健康問題とも関連してくる。

・自社の場合、社内オフィスに固定席のある社員は日本法人30%、全世界平均9%。アメリカはホームオフィスが中心。

・ワークスタイル変革を成功させるにはワンプラットフォーム情報基盤が必要。昔はペーパーレスが言われていたが、いまは精神的な労働環境の整備に重点がある。そのためににはツールが必要。ワークスタイル変革が言われる要因の一つには、ECMの利用がある。

・オフィスの外にいても必要な情報にアクセスできるようにして生産性向上。

・顧客1万5000社からの問い合わせを、世界各国のサポートチームが記録する。そして問題解決策を提示する。

・日々発生するさまざまな問題を一元的に管理し、案件にかかわる情報を360度すべて把握する。

・一つの例であるが、アメリカで問題発生というケースで、ツールを使って東京のスタッフが過去の情報を検索する。そういうケースマネジメントがある。

・次世代ECMは? 例えばEFSS(Enterprise File Synchronization and Sharing)などがある。

・現在の文書管理の目的は”ペーパーレスの実現”からもう一段先に行っている。

・以前のECMに求められていた目的は、「ペーパーレス」「コスト削減」(「物理スペースの削減によるコスト削減」)。今は紙にとらわれないことが働き方変革につながる。

・成功要因はビジネスモデルの変化にある(企業のあり方、今の仕事の生産性をどのように高めていくか)。

・ITの利活用とデジタルトランスフォーメーションはどう違うのか? 東京証券取引所は経済産業省とともに上場会社のIT経営銘柄を決めている(ROI8パーセント以上の会社)。ITを使っていまのビジネスモデルをよりよいものにしていくのがビジネストランスフォーメーション。

・コンサルの現場では「成功とは何か」を一番初めに定義する。(1)(2)は共通。ビジネスとその変革の基盤。本当に定着するかが(3)。
(1)電子、デジタルで仕事を行う環境をつくり、新しいコミュニケーションによる出会いによって、新しいイノベーションを創出する。
(2)会社の仕組みと制度で情報を守る。
(3)使いやすさ、利便性があるかどうか。現場の人に実感してもらう。不平不満を吸収する仕組みがあるか。

◎利便性に関して

・自社ではECMは営業ではあまり大きく活用されていなかったが、昨年他社と提携してセキュリティが充実した。また提携先の製品は使い勝手がよい。

・ECMを情報のハブとして利用し生産性を高めている。例えばCRM(customer relationship management)をハブとして利用し、さまざまな業務に利用することによって利便性が生まれる。

・例えば請求書・契約書を単に管理するだけでは使いづらい。コンテンツを業務プロセスに紐づける(コンテキスト)。するとそれによって価値が生まれる。業務プロセスとつなげることは利便性を生む。

・機械ができることと人ができることをはっきりさせる。例えば領収書電子化のみならず、請求書をスキャンしたらそこから自動的に流れていくような使い方が最近のECM。

・今は非定型の業務での文書作成も作成時点から作成からデジタル。アイデアが生まれた時から全部デジタル。そういうツールの管理が必要。さまざまな業務プロセスをうまく連動しながら、うまくつなげることが利便性をもたらす。

◎失敗例、注意点

・組織替えなどあったりしたときは、リモートワークばかりでなく、上長に顔を見せるなど人間的な接触も大事。心情的なところを考慮したほうがいいときもある。

・ECMはツールなので、それだけ導入しても成功にはつながらない。ワークスタイル変革は会社にいる人もリモートの人と同じように、全社として取り組むべきこと。そのためにはトップのコミットメントが大事。

・一気に何かを変えるのは難しい。明確な課題をもっているところを優先して、成功を実感しながら進めることが大切。働き方に対するカルチャーを改革していく

・失敗例には「タブレットを全社的に導入したが活用方法がわからない」というような例がある。新しいものを配るとワークスタイル変革のような気になるが、ちょっと違う。ワークスタイル変革とは人材確保。ECMだけでは難しい。

・オフィスでないとできないこと、外でないとできないこと、家でもできること、そういうところを考えることが大切。自社ではソフトウェアでできることを考えており、今回展示会にブースを出している。ECMでワークスタイルを変えていくのをデモしている。

・トップダウンで大金でシステムを導入して使われないのが失敗例。現場に寄り添うことが重要。グループ会社と一緒になって、ビジョンの設定をデザインしている。そこにどういう人を引き込むかを考えている。現場で普及してリーダーになってもらう。


現用記録の管理からアーカイブズの管理を統合的に考えるレコードキーピングは記録文書の作成段階がスタートです。現用記録文書の管理はどうなっているのか、とくにITの観点からは何が問題になっているのかを勉強しようと参加したのですが、、、 むしろアーカイブズの側の課題を認識することになりました。テレワークやリモートワークが普通となった場合、これまでフェイス・トゥ・フェイスを前提として考えられていたやり方というのは有効でなくなってしまうかもしれません。自社の歴史に関わるコンテンツは最近は多くの企業で社内イントラネットに掲載されることが増えてきていますが、モバイルが基本の働き方になった場合、デバイスによる最適化のようなことにもっと注意を向ける必要があるかもしれません。さらに、業務への利用(顧客に対する自社の歴史・ヘリテージ関係のプレゼン)を考えてみた場合、アーカイブズ資料やコンテンツを管理するシステムを、全体のシステムのサブシステムとしてハブとなるシステムに結びつけたほうがよい、というような議論ができるかもしれません。

パネルディスカッションに対するわたしの感想は、ECM専門の方々の感想とはだいぶ異なった感想であると思われます。しかし、ワークスタイルの話はこれまでアーカイブズ関係の会合で話題になったことはなかったので、非常に興味深いものでした。

後日、JIIMA ECM委員会のポータルサイトに当日の資料が掲載されるというアナウンスがありました。http://www.ecm-portal.jp/

高千穂大学公開講座「社史の魅力」(2016年10月15日)

22 土曜日 10月 2016

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current record, 現用記録, 社史, shashi, takachiho

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高千穂大学(東京都杉並区)と杉並区教育委員会が共催の公開講座「社史の魅力」(全4回)の最終回に参加しました(2016年10月15日)。
http://www.takachiho.jp/public/kouza/extension.html
この日は次の2つの講義がありました。

(1)「経営史研究者による会社史執筆に関する構造的問題」
フェリス女学院大学国際交流学部准教授 齊藤直先生
http://researchmap.jp/read0078165

(2)「社史の魅力」
高千穂大学経営学部教授 大島久幸先生
http://researchmap.jp/read0195636/

齊藤先生の講義はこれまでの社史との関わり、社史執筆を振り返りながらの自己紹介に続き

1 はじめに
2 研究者による社史執筆の状況
3 社史制作をめぐる企業と研究者
4 研究者による社史執筆をめぐる問題
5 問題を解決するために
6 おわりに

という内容構成でした。講義後お話する機会をいただけましたので、発表内容を今後文章化して発表していただきたい、とお願いしました。

大島先生の講義は「社史とは何か」というお話からスタート。以下、大島先生のお話を松崎が聞いた限りでまとめました。


社史とは会社が会社の企業の責任でもって刊行する自社の歴史に関する文献、通常の書籍の流通ルートに乗って流通するものではない。そのため、入手が困難。

高千穂大学(今年で創立113年)では1990年に商学部経営学科の設立記念事業として社史コレクション事業をスタートさせた。会社の情報を社会に残していくには社史が一番手軽なツール、会社のことを知る唯一の貴重な情報源。現在高千穂大学には6000冊以上のコレクションがある。このコレクションに関する情報を使って統計をとってみたところ、巷間言われているような「日本は社史大国」という認識は必ずしも正しくないのでは、と考えられる。日本が「社史大国」といえるのは、1980年~90年代にかけてではないか、それも本当にそうかどうか、これからどうなるかはわからない。最近の年間刊行点数は50冊程度とみられ、これは深刻な事態だし、だからこそ社史を大切にしたい、何かできないか、と思う。

ちなみに社史は利用して、蓄積していくとある一定の価値を持つ資産と考えられる。古書店に行くと古い社史ほど価格が高い(入手しにくさと関係)傾向がある。経営史学者の由井常彦先生によると「製品別原価が載っているととても貴重である」。

一方、歴史研究者は研究に利用した資料が一次資料でないと評価されない(※松崎注:ここでいう一次資料とは、図書館司書が言う一次資料とは異なり、編集・刊行される以前のナマの資料を指す)経営史の場合一次資料とは、会社の経営記録、営業記録など。現在の文書記録の作成はほとんど電子的に行われ、イントラネットやファイルサーバにある記録(データ)はアーカイブとして蓄積されるのではなく、上書き更新されていく傾向があることを考えると、経営史を研究・叙述するための一次資料はどんどん消えて行ってしまっている。今後会社の歴史を知るための手がかりは社史ぐらいかもしれない。とするならば残すべきなのは社史かもしれない。

日本には大きな社史コレクションを所蔵する機関がいくつかあるが、会社史を一番残してきたのは経営史学会。同学会では設立30年記念として『日本会社史研究総覧』を出版している。会社史は学術的にも価値を持つ。その場合優れた社史とは何か、という話になる。優れた社史とは、次の6つの基準で評価できるといわれている。

優れた社史とは?
1政策の目的と達成
2実証性と公開性
3事業内容を説明されているかどうか
4歴史の流れを読み取れるか
5企業主体の叙述か
6マイナスな出来事も書かれているか

今回の公開講座「社史の魅力」の講師陣のお話から、次のような課題が見えてきた。

・社史執筆に際して資料を集めることに多大な労力を要する。これは社史編纂における最大の障害
・残された(そして社史編纂のために集められた)資料から経営の内容を描きだすことは困難である。「優れた社史」と言われている社史を発行した企業においても、経営資料が断片的であることがままある。

傾向としては、保険会社や銀行などの金融機関は訴訟リスクなどもあり、それを自覚しており、また余裕もあるのか記録は残されている。一方、流通系企業の記録の残存状況は芳しくない。恒常的に記録を残す文化が日本にはない。そして社史編纂の時だけは一所懸命とにかく集める。だがしかし、集めた資料からだけで全体を描くことは難しい。ある流通系メーカーでは意思決定のための幹部レベル会議の資料はパワーポイント資料のみで、パワーポイントに乗せる情報量も少なければ少ないほどよいと思われているため、これをもとに社史を記述するためには、関係者にヒアリングして、資料の意味を理解しなければならなかった。

現代の資料は紙の資料であってもチープ、情報量が豊かではない。優秀会社史賞本選考に残るような優れた会社史を作ったところでもやはりそういう状況である。残すことにはコスト(金利など)もかかる。

企業記録は残るのかどうか。社史刊行後資料が整理されてしまうことがある。あるいは刊行を機に残す制度や機関が作られる場合もある。イントラネット上でやり取りされる企業記録は、上述のように上書きされてしまう結果、そもそも記録が残らない。そして、今現在作成され業務で利用されている記録は、紙の資料としても残されない。社史執筆にかかわった先生方の研究室に残った資料は図書館も引き取ってくれない。さらに会社が消滅した場合、ウェブサイトも消滅、記録は消えてなくなってしまう。

公開講座の2回目に講演された帝国データバンク史料館高津館長のお話では、創業100周年を迎える509社に対するアンケートを行ったところ、何らかの記念の催しを行う会社が全体の7割、そのうちの7割が社史の刊行、さらにそのうちの7割は社史刊行に準備にかける期間は3年以内。歴史的資料の管理をしている会社が36%、管理していない会社が6割以上、「管理するような資料はもっていない」と回答した会社が5割以上という結果であった。高津館長のお話では、「企業博物館」には定義がないため、企業博物館のデータをとるのは難しいのだが、会社の歴史的資料を残す点では一種の希望といえる。社史編纂のために集めた資料を整理して、社史刊行後に博物館を作った会社を調査したところ、電力会社など公共性が高いところは企業博物館を作って資料を残している。

かつては担当者が自宅に持って帰ったりしたことで逆に資料が今日に伝わった、というようなこともあったが、現在は会社のパソコンに個人のUSBを挿したらコンプライアンス違反になる時代なので、個人の熱意のようなものによって資料が残ることは困難である。

橋本寿朗先生の1998年の論文では次のようなことが指摘されている。
・保存に関する文書規定はずさんだが、にもかかわらず日本の大企業は資料をかなりよく残している。
・資料を読む場合の2つの問題点。
(1)日常の記録が残されない
(2)企業活動の解明に必要とされる情報の一部(下の下線部分)しかわからない

企業環境の認識→経営課題の自覚→事業目的→事業構想→プラン→意思決定→実践→結果

不明な部分は関係者にヒアリングして聞きとることなどもある。その他社史編纂担当者の個人的熱意で残す(ただし担当者の負担が大きい)くらいしかない。史料館を作って残すというオプションを選択するところも少ない。

資料の収集、整理、利活用として自分も関わった例に、神戸大学と滋賀大学の例がある。滋賀大学の場合、伊藤忠商事が伊藤忠兵衛記念館で新人研修を行うなど、歴史資料に対する社内認知度向上にまで踏み込んだ活動を行っている。

会社史が大事であることを広めていくのが大切。


完全ではありませんが、以上のようなお話でした。

大島先生には社史について、また企業資料について下記のような著作をお持ちです。

「記録は誰のものか、海の向こうの史料を訪ねて」帝国データバンク史料館『別冊MUSE 2014』(2014年)
http://www.tdb-muse.jp/info/2014/09/muse2014.html
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I025838959-00

「基調講演 社史からアーカイブズへ」企業史料協議会『企業と史料』第10集(2015年)
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I027497505-00

その他大島先生の著作は下記をご参照ください。
http://iss.ndl.go.jp/books?rft.au=%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E4%B9%85%E5%B9%B8&search_mode=advanced
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22402028/


大島先生は、何十年か後にいまの時代について、社史に書こうとしても記録が残っていない可能性がある、という点も強調されました。この点は私も大いに共鳴するところです。

一方、先生のお話では資料整理に経営史研究者が協力して、大学という機関で所蔵していくことが企業資料保存のひとつの有力なオプションではないか、ということでした。この点の評価は難しいと思います。現在学習院大学客員教授・元日本経済新聞社編集委員の松岡資明氏の著作『アーカイブズが社会を変える』は、著名エコノミスト大来佐武郎氏関連資料がかつて大来氏が学長を務めた大学によって廃棄されてしまった事例を上げて(92ページ以下)、「大学は『危ない場所』」という節を設けて論じています。大島先生のお話にもあったように、これまでの、そして現在においても、日本には組織的にアーカイブズ資料を残す仕組みが整っているとは言えず、資料保存は多かれ少なかれ、熱意ある個人の力に負っている状況です。これは決して望ましい事態とはいえません。アーカイブズ資料の保存のしくみと保存資料が社会のインフラになるような、そういう方向をこそ目指すべきではないでしょうか。

この点をさらに推し進めると、「社史は貴重な情報源、日本では組織アーカイブズとして記録を残すような仕組み・文化はないのだから、現実的な対処方法として、とにかく社史を残そう」という考え方に賛同しつつも、やはり目指すべきは作成からアーカイブズに至るまでの記録文書・記録情報の体系的なマネジメントであろうと考えます。なぜならば、記録保存、資料保存、文書保存はそれ自体が究極的な目的ではないからです。記録をきちんとマネジメントすることは業務プロセスの変革に結びついています。つまり、記録文書のよりよいマネジメントは組織のありようをよりよいものとし(企業であればより高い生産性、よりよいガバナンス、企業文化の継承)、そのことによって社会に価値を生み出していくからです。

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