一橋大学に大学文書館(アーカイブズ)を

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以下の記事は、一般社団法人如水会発行『如水会々報』2017年3月号より、同会の許諾を得て転載するものです。


一橋大学に大学文書館(アーカイブズ)を

松崎裕子 (63社)

『如水会々報』2016年11月号「ラウンジ」欄に掲載された大久保秀典様の「貴重資料の宝庫・学園史資料室の有効活用を!」を拝読させていただいた。筆者は2004年から公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターで企業アーカイブズの振興に取り組むとともに、株式会社アーカイブズ工房代表取締役として企業史料の整理・活用の実務・コンサルティング・教育研修業務にも携わっている。日頃より一橋大学における歴史的に価値ある文書の保存・管理・公開状況が、他大学から大きく遅れている状況を憂慮してきたため、大久保様のご提案にいたく心を動かされた。この小文では、他大学における歴史的な文書や資料の保存、管理、公開の現況について、企業アーカイブズの状況を交えながら、ご紹介させていただく。

さて、アーカイブズとは何か。それは組織が作成したり、組織外から収受した文書記録のうち、歴史的に重要で長期に保存する必要があるものを管理・提供する部署や施設であり、文書館とも称する。歴史的に重要な資料自体もアーカイブズと呼ばれる。私が専門とする企業アーカイブズの場合、企業活動を通じて会社が作成するさまざまな記録・資料それ自体と、これらを保存、管理、提供・活用する部署を指す。企業のアーカイブズは、今日までの事業の証拠(エビデンス)としてアカウンタビリティを支え、それによって会社への信頼を高める。さらに、企業文化を伝えるメディアとしての役割を果たし、企業活動に永続性を与える。激しい環境変化にさらされる今日、企業がサステナブル(持続可能)であり続けるために、アーカイブズはますます必要なものと認識されつつある。

日本では、明治以来、図書館、博物館の制度は社会に根付いたが、アーカイブズ(文書館)の発達は遅れた。国のレベルでは英国で1838年に、米国では1934年に国立公文書館が設置された。日本の国立公文書館の場合、1971年に開館したものの、公文書管理について定めた法令(公文書等の管理に関する法律)が初めて制定されたのは2009年、ごく最近のことである。この法律の制定によって、国の行政機関と独立行政法人等(国立大学法人を含む)では、業務の過程で作成・収受した公文書(正確には国の行政機関の場合は「行政文書」、独立行政法人や国立大学法人などの場合は「法人文書」)を適切に管理し、歴史的に価値ある文書に関しては国立公文書館に移管し、永久保存し、一般の国民に提供することが定められた。国立大学法人もこの法律に従う必要が生じた。

この法律では、歴史的に価値ある文書を国立公文書館に移管せず、各大学の中に「国立公文書館に類する機能を有するものとして、公文書管理法に基づき定められた施設」において管理するオプションも用意された。旧帝国大学をはじめ、一橋大学と縁の深い、東京外国語大学や東京工業大学はこちらを選択し、自分たちが作成・収受した文書記録を自校内で、法律に定められた適切な施設において、また多くの場合、文書管理についての専門的教育を受けたアーキビストを配置して、管理している。国立公文書館のウェブサイトによれば、2016年11月6日現在、こちらのオプションを選択した機関は次の通りである。

宮内庁宮内公文書館
外務省外交史料館
日本銀行金融研究所アーカイブ
東北大学学術資源研究公開センター 史料館公文書室
東京大学文書館
東京外国語大学文書館
東京工業大学博物館資史料館部門公文書室
名古屋大学大学文書資料室
京都大学大学文書館
大阪大学アーカイブズ
神戸大学附属図書館大学文書史料室
広島大学文書館
九州大学大学文書館

(注─旧帝国大学のうち、北海道大学は現在内閣府に指定申請中)

これらのアーカイブズでは、総務課をはじめとする事務組織から文書の移管を受けてこれを管理・公開するほか、大学史上重要な役割を果たした過去の学長や著名な研究者等に関する資料も寄贈・寄託を受けて管理・公開している。

一橋大学の場合、残念なことにアーカイブズの整備が大幅に遅れている。国民の求めに応じて公文書を開示するにあたっては、情報公開法で対応している。情報公開という趣旨では問題はないものの、歴史的に価値をもつ文書の長期保存と公開・利用のためには、本来であればアーカイブズ(文書館)に移管して管理・公開するのがよりよいモデルである。実はすでに小平の旧図書館はリモデルされて大学文書館に即対応できるよう整備済みである。にもかかわらず、現在のところ内閣府からの「国立公文書館に類する機能を有するものとして、公文書管理法に基づき定められた施設」の指定に向けた動きはまったくなされていないようである。

また、国立大学に限らず、私立大学・公立大学を含めた大学における大学史の編纂と資料保存に関する情報交換や交流の場として、1980年代から、全国大学史資料協議会が活動している。先に上げた国立大学のほか、早稲田、慶應義塾、上智、明治、法政、立教、学習院、青山学院、立命館、同志社をはじめ、全国で60以上の大学が加盟している。残念ながら、一橋大学はここにも未加盟である。

企業アーカイブズに目を向けてみると、フォーチュン500に登場するような欧米の企業にはアーカイブズ部署が設置され、過去の文書記録や情報を確実に保管・管理・提供し、アカウンタビリティと企業文化継承・ブランディングのための情報基盤としている会社が数多くある。筆者が業務上頻繁に交流している企業アーカイブズには、イングランド銀行、HSBC(香港上海銀行)、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド、ロスチャイルド(以上英国)、コカ・コーラ社、マッキンゼー社、IBM社(以上米国)、ホフマン・ラ・ロシュ社(スイス)、マースク社(デンマーク)、ゴードレージ社(インド)などがある。

日本のビジネス界では、1981年に当時の経団連の花村仁八郎副会長・事務総長が音頭を取り、企業史料協議会が結成された。現在の会長は歌田勝弘元味の素会長である。会員企業は社内における過去の歴史的な文書資料やモノ資料の保存、整理、活用に熱心に取り組んでいる。同協議会にはトヨタ自動車をはじめとする、各業界を代表する企業のアーカイブズが加わっている。

さらに近年は、社史編纂のために収集した資料を基に、アーカイブズを整備し、社員教育やブランディング、あるいは企業ミュージアムに役立てるほか、グローバリゼーションに伴い、ガバナンス強化や情報開示を進めていく基盤にしようという動きも活発化している。

グローバル化は一方でデジタル化を伴っている。諸外国の企業・大学は、自分たちの過去の歴史に関する情報、場合によっては歴史資料自体をインターネットで世界に提供し、組織の広報・マーケティング・情報開示のツールとしている。大学も世界中から優秀な学生を集めるために、自分たちの過去のヘリテージを活用している。日本国内の例であるが、2016年度に内閣府から前記の指定を受けた東京外国語大学文書館のアーキビストによると、同大における文書館設置は「大学の広報機能の強化のため」と明確に位置付けられているという。そのため展示やフェイスブックなどを通じて積極的に大学の歴史情報を発信している。

大学も淘汰の時代に入っている。過去において輝かしい栄光と持つ組織といえども、永遠に盤石ではありえない。大学という存在もゴーイングコンサーンであり続ける意志を明確にする必要がある。企業の第一線の方々の目にはなかなか触れない分野であるが、アーカイブズの視点から眺めてみると、一橋大学の学園史資料関係のリソース(歴史的に価値ある法人文書、歴史資料等)の保存・管理・活用は、変化の激しい今日の環境の中で生き残っていくための情報基盤としては、まことに心もとない状況であると言わざるを得ない。

(日本アーカイブズ学会登録アーキビスト、(株)アーカイブズ工房代表取締役)

*国立公文書館に類する施設
http://www.archives.go.jp/links/#Sec_01

*全国大学史資料協議会
http://www.universityarchives.jp/membership.html

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(補記)

上の記事の公開後、北海道大学大学大学文書館公文書室筑波大学アーカイブズが内閣府からの指定を受けました。

 

『レコード・マネジメント・ハンドブック : 記録管理・アーカイブズ管理のための』紹介・書評

 

出版後間もなくご紹介いただいた方々ありがとうございました。その後2016年度末に少なくとも3本の書評が公刊されました。いずれも丁寧にお読みいただいたことが伝わってくるもので本当にありがたく感じています。ある程度長い分量の書評記事では、批判や問題提起といったものも提示されて、今後この分野での研究や執筆を進めて行くうえで、たいへん参考になるものと思われます。以下箇条書きですが、いくつかメモしておきます。

・オリジナルの英語原文と対象しながら読んでくださった富永さんからは、本書は「標準的教科書というよりは議論の書」であり、オリジナル版も翻訳版もよみずらい。その理由は標準的な考え方と原著者独自の考え方を弁別しながら読まねばならない点がひとつ。もうひとつは原著者の実務経験を反映した「詳細なガイダンスと、より抽象度の高い議論とが本文中に混然一体となっている点」(富永、80ページ)

・実務の「ハンドブック」であるならば、やはり原語をカタカナ表記した用語に置き換えるのではなく、日本の現場で用いられている、「自分たちが使用している用語への『再翻訳』表現が必要」(秋山、69ページ)

・本書では「現秩序を保持するという原則」は紙の世界のレコードに関するものという立場だが、コンテクストを把握するうえでこの原則は重要であり、レコード形式の如何を問わないのではないか。「最終的には個別に判断することになる」のではないか。(渡邊、89ページ)

・「証拠的価値」を「情報的価値」「情報提供用ドキュメント」(本書中の「情報プロダクト」に相当)よりも「優先することを強調し過ぎることに若干のリスクを感じる」(渡邊、90ページ)

・日本のアーカイブズ学におけるappraisalあるいは「評価選別」の今後(渡邊、90ページ)

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◎富永一也 『記録と史料』(27):2017.3
http://www.jsai.jp/kanko/kaisi/kaisi27.html

◎秋山淳子 『レコード・マネジメント』(72):2017.3
https://www.jstage.jst.go.jp/…/72/0/72_68/_article/-char/ja/

◎渡邊健 『GCAS report = 学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻研究年報』(6):2017.2

◎山田敏史 専門図書館協議会『専門図書館』 (281):2017.1 http://www.jsla.or.jp/publication/bulletin/no281/

◎藤吉圭二 『アーカイブズ学研究 』日本アーカイブズ学会, (25):2016.12
https://ndlopac.ndl.go.jp/F/?func=full-set-set&set_number=188163&set_entry=000001&format=999

◎中島康比古 『情報の科学と技術』情報科学技術協会, (66):2016.11
https://www.jstage.jst.go.jp/…/66/11/66_…/_article/-char/ja/ http://doi.org/10.18919/jkg.66.11_601

◎石井昭紀 『情報管理』科学技術振興機構, Vol. 59 (2016) No. 7 p. 498
https://www.jstage.jst.go.jp/…/…/7/59_498/_article/-char/ja/ http://doi.org/10.1241/johokanri.59.498

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『レコード・マネジメント・ハンドブック : 記録管理・アーカイブズ管理のための』 エリザベス・シェパード、ジェフリー・ヨー共著 【編・訳】森本祥子、平野泉、松崎裕子 【訳】清原和之、齋藤柳子、坂口貴弘、清水善仁、白川栄美、渡辺悦子

http://www.nichigai.co.jp/cgi-bin/nga_search.cgi?KIND=BOOK&ID=A2611

経営支援セミナーに参加

きょうのセミナーは、お世話になっている会計士の先生の事務所(税理士法人C&C)主催。事務所とは3年半ぐらいのお付き合い。いろいろセミナーなど行っているようです。今回初めてどうですか、と声をかけられました。。

で、前半は(「フィンテック及び証憑ストレージサービス等の特長」)、

・平成28年の改正電子帳簿保存法による国税関係帳簿書類のスキャナ保存制度
・クラウド会計(銀行信販データの自動受信システムによる仕訳の二重計上防止や記帳、正確な帳簿の作成などの経理事務省力化)

会計にかかわる文書管理の一部と関係があります。記録管理的にとても面白かったですね。

ちなみに講師は(株)TKCの方々で、ここの証憑ストレージサービスはJIIMA(公益社団法人日本文書情報マネジメント協会)の平成28年改正法令基準電帳法スキャナ保存ソフト法的要件認証の第1号認証を受けているということでした。

後半は、静岡県富士市産業支援センターf-Bizセンター長の小出宗昭さんの講演(「中小企業の事業革新(イノベーション)」)
http://www.f-biz.jp/

講演では富士市立産業支援センターがどこにあるのか、というお話はでてきませんでしたが、ウェブをみてみると、富士市立中央図書館分館1階にあります。サイトによると「富士市立中央図書館と連携し、相談内容に応じた資料や専門書を紹介」しているようです。

お話では公的産業支援はどうあるべきか?というところから始まりました。講師の考えでは

「公的産業支援とは公による「ビジネスコンサルティング業」であるべき」

であり、わかりやすい結果を出す、ことが目的といいます。

いまはモノが売れない時代で、とにかく売り上げが伸びない。

売り上げの流れを変える3つの戦略、として
(1)真のセールスポイントを活かす
(2)ターゲットをしぼる
(3)連携する、つながる、コラボレーションする
があげられました。

そのあとは事例です。

(株)司技研
丸金製紙(株)
マルミヤ食品(株)
(株)高年社60
金沢豆腐店
かわむら呉服店
ハヤブサ((有)スノーチャイルド)

廃業寸前→コンサル→結果

というのがはっきりしています。

アーカイブズに活かせるものはあるかしら・・・?

と思いつつ帰ってきました。

『ライブラリー・リソース・ガイド』第18号

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This work is licensed under a Creative Commons Attribution 4.0 International License.

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『ライブラリー・リソース・ガイド』第18号を読みました。今号はアーカイブズの話が中心です(以前の号を全部読んでいるわけではないです。)

http://www.arg.ne.jp/node/8867

[目次]

岡本真「『意思を持って雑誌をつくる』ということ」

大原ケイ「壮大なバイオグラフィーとしての大統領図書館」

岡本真「総理大臣資料はどこにある?」

岡本真「『総理大臣資料』全調査」

福田康夫 元内閣総理大臣 特別インタビュー/インタビュアー:松岡資明 「公文書の扱いとその国のかたち」

猪谷千香「図書館エスノグラフィ 東京学芸大学学校図書館 運営専門委員会」

佐藤翔「連載 かたつむりは電子図書館の夢をみるか LRG編 人並の人生も幸福も期待していなかった図書館情報学徒、10年後の実態」

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米国大統領図書館はいわゆる通常の図書館ではなく、NARA(米国国立公文書館記録管理局)管轄下にあるアーカイブズ機関です。これを読むと、記録の管理にあたっては、大量の公文書のなかから何を残すのか、それを判断し実行する評価選別という作業が存在し、これをアーキビストが行っているということがわかります。この点はライブラリアンの仕事とは異なるので、たぶんこの雑誌の多くの読者の方々である図書館関係者の方は興味深く思われるでしょう。また最近のデジタル化によるオンライン公開なども詳しく紹介しています。

「総理大臣資料」というのは、岡本さんの言葉。

「『総理大臣資料』という言葉には学術的な定義があるわけではなく、私が自分の問題意識を整理しながら考えた言葉である。」(47ページ)

区分として、岡本さんは「公文書類」「(個人蔵の)書類」「日記・日誌」「書状・書簡」「書画類」「著書・蔵書」「愛用品」をあげている。そしてご自身の問題意識としては、「総理大臣資料」のうち「著書・蔵書」が中心ということです。

歴代総理大臣の残した資料(recordsではなくて、もっと広い概念)の所在を包括的に調べてみた、というこれまでになかった取り組みです。今後さらに体系化されるといいと思います。(国会図書館のリサーチ・ナビに「総理大臣資料」としてリンクできたらいいのでは、などとも思います。)

元日本経済新聞の松岡記者による福田元首相のインタビュー記事はぜひ多くの人に読んでいただきたいです。昨今のさまざまな問題の多くが公文書管理と密接に結びついていると思います。記録を着実に後世に伝え、政策形成に役立てていくその意義を語っておられます。

一方、各種図書館所蔵の地域資料や特殊コレクション、いわゆる図書資料とは異なる資料(アーカイブズ的なもの)に関して、さらに同様の調査や整理を期待します。そこにしかない、それ1点しか存在しない、そのような資料類をケアして提供していくことへの関心が高まってほしいなぁと感じます。

今後もこのような方面の企画(とくに地域資料、特殊コレクション関係)を続けてもらえたらなぁ、とおおいに期待するものです。

森本祥子「定例会報告 レコード・アーカイブズ一貫システム構築の視点」(2017年)

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エリザベス・シェパード、ジェフリー・ヨー共著、森本祥子他編訳『レコード・マネジメント・ハンドブック : 記録管理・アーカイブズ管理のための』
http://www.nichigai.co.jp/cgi-bin/nga_search.cgi?KIND=BOOK&ID=A2611
http://www.nichigai.co.jp/PDF/2611-2.pdf (PDF)
https://ndlopac.ndl.go.jp/F/?func=full-set-set&set_number=583389&set_entry=000003&format=999

に関する森本先生の講演会の記録を掲載したARMA東京支部編『Records & information management journal : the information management professionals』第32号(2017年1月)が刊行されました。

◎森本祥子

東京大学文書館准教授)

「定例会報告 レコード・アーカイブズ一貫システム構築の視点」
『Records & information management journal : the information management professionals』ARMA東京支部, (32):2017.1

⇒『レコード・マネジメント・ハンドブック : 記録管理・アーカイブズ管理のための』の編訳者代表の森本祥子先生の講演録です。
講演の主催者で掲載誌を発行するARMAインターナショナル東京支部は会員制をとる専門団体です。「記事本文コピーサービス」 があるとのことです。有償で記事を取り寄せることができるようです。
http://www.arma-tokyo.org/rimjournal.htm

同書に関して現在までに発行された解説、書評・紹介、その他参考文献をまとめました。


【書評・紹介】

◎石井昭紀

公益社団法人日本文書情報マネジメント協会ECM委員会委員長、株式会社イージフCTO)
「図書紹介 『レコード・マネジメント・ハンドブック:記録管理・アーカイブズ管理のための』」
『情報管理』科学技術振興機構, Vol. 59 (2016) No. 7 p. 498
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/59/7/59_498/_article/-char/ja/
http://doi.org/10.1241/johokanri.59.498

◎中島康比古

独立行政法人国立公文書館

「『レコード・マネジメント・ハンドブック-記録管理・アーカイブズ管理のための』エリザベス・シェパード,ジェフリー・ヨー 著」
『情報の科学と技術』情報科学技術協会, Vol. 66 (2016) No. 11 p. 601
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jkg/66/11/66_601/_article/-char/ja/
http://doi.org/10.18919/jkg.66.11_601

◎藤吉圭二

追手門大学教授)
「レコード・マネジメント・ハンドブック : 記録管理・アーカイブズ管理のための エリザベス・シェパード、ジェフリー・ヨー共著 【編・訳】森本祥子、平野泉、松崎裕子 【訳】清原和之、齋藤柳子、坂口貴弘、清水善仁、白川栄美、渡辺悦子」
日本アーカイブズ学会 編『アーカイブズ学研究 』日本アーカイブズ学会, (25):2016.12
https://ndlopac.ndl.go.jp/F/?func=find-c&amp=&amp=&amp=&amp=&amp=&amp=&ccl_term=001%20%3D%20027852266&adjacent=N&x=0&y=0&con_lng=jpn&pds_handle=&pds_handle=

◎山田敏史

(日本レコードマネジメント株式会社
「レコード・マネジメント・ハンドブック―記録管理・アーカイブズ管理のための」
専門図書館協議会機関誌委員会 編『専門図書館』, 専門図書館協議会(281):2017.1.
http://www.jsla.or.jp/publication/bulletin/no281/

ご執筆のみなさま、ありがとうございました。

【その他】松崎が書いた、出版までの経緯など。

◎松崎裕子
「RIM広場 書籍紹介 レコードマネジメント・ハンドブック : 記録管理・アーカイブス管理のための」
『Records & information management journal : the information management professionals』ARMA東京支部, (31):2016.6
https://ndlopac.ndl.go.jp/F/?func=find-c&amp=&amp=&amp=&amp=&amp=&amp=&ccl_term=001%20%3D%20027571583&adjacent=N&x=0&y=0&con_lng=jpn&pds_handle=&pds_handle=

佐藤翔輔「東日本大震災アーカイブを使ってみた」(2017年)

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昨日公開された科学技術振興機構(JST)のジャーナル『情報管理』Vol. 59 (2016) No. 10所収、佐藤翔輔(東北大学災害科学国際研究所)「視点 東日本大震災アーカイブを使ってみた」を読んだ。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/59/10/59_690/_html/-char/ja/

この論考は「デジタルアーカイブ」である東日本大震災アーカイブの利活用の事例として、著者が関わった二つの事例を取り上げている。

・宮城県東松島市の東松島市図書館「まちなか震災アーカイブ」

・宮城県多賀城市教育委員会が発行した多賀城市防災教育副読本資料集「命をまもり 未来をひらく」(2016年3月発行)

結論を私なりにまとめると

・デジタルアーカイブの効果的・積極的な利活用のためにはデジタルアーキビストやデジタルキュレーターといった専門的な人材が必要。

・しかし、多くの東日本大震災アーカイブを構築管理している県・市町村などの自治体では、職員の定期的な異動によってこのような専門的な人材を確保すること、養成すること、あるいは専門家コミュニティを構築することは難しい。

・職員の異動はデジタルアーカイブのサステナビリティ(持続可能性)のボトムネック(障害)となっている。

これは、アーカイブズ学の側から、現行の自治体の公文書管理制度(とくにアーカイブズ管理における専門職の不在)による問題─行政の非効率性、時々の担当職員の負担、アカウンタビリティ、市民による過去の行政情報へのアクセスの困難さなど─を指摘してこられた加藤聖文先生(人間文化研究機構国文学研究資料館准教授)の一連の論考を思い起こさせる。

一番最近のものでは

加藤聖文
「公文書管理制度の新しい可能性―市民の行政参加と地域再生―」
『住民と自治』2016年10月号
http://www.jichiken.jp/article_33/

がネットで読める。

ほかに、

加藤聖文
「市民社会における『個人情報』保護のあり方―公開の理念とアーキビストの役割―」
『国文学研究資料館紀要(アーカイブズ研究篇) 』11号、2015年3月13日
http://id.nii.ac.jp/1283/00001467/

も同様の問題を自身のリサーチの経験を通じて明らかにしている。

アーカイブズが持つ情報の価値は現代世界においてますます高まっているにも関わらず、それを有効に、効果的に、効率的に使うための仕組み、とくに専門的な知識と経験を備えた人材が、日本の公的機関では日本的な職場慣行に阻まれて正規職員として配置もされないし、養成もされないのである。

以前「デジタルアーカイブ」関係文献の紹介・批評をしたことがある。
https://archiveskoubou.wordpress.com/2014/05/19/iri-future-archivists/
http://ci.nii.ac.jp/naid/110010043296

これらの文献でもデジタルアーカイブを扱う専門的な人材の養成が必要とされていた。ただし具体的な事例に乏しい印象であった。本稿の冒頭で紹介した佐藤翔輔氏の論考は、実際の経験を通じた発見であると言う点で、価値あるものと思う。

さて、最後に一言。

東日本大震災アーカイブは、伝統的なアーカイブズからみるとコンテンツの集積であって、はたしてこれは、Archives、Archive、Archiv、檔案、档案、(역사적)기록물、Archivo、archīvum、Arkivo、・・・と呼ばれる、コンテンツ(内容物・意味)とコンテクスト(文脈)、ストラクチャ(構造)を持つもの/こととして世界各国で認識されているアーカイブズの話として語れるのか、という疑問を持つアーカイブズ関係者が多いと思う。私自身はいわゆるデジタルアーカイブとアーカイブズはまったく別物ではなく、デジタルアーカイブを構成するコンテンツは、(作成に遡る、目に見えない)コンテクストとストラクチャをもっているが、その部分の(目に見えない)情報の(再)組織化には手をつけない状態なのではないかと思う。デジタルアーカイブ関係者の方々は、とにかく今は(学術的?歴史的に?)「重要」(と思われる)コンテンツをデジタル化して広く流通させることが喫緊の課題と考えておられるように思う。

[追記]

アーカイブズを構成するのはアーカイブズ学やレコード・マネジメントでは「コンテンツ」+「コンテクスト」+「ストラクチャ」である(シェパード&ヨー著、森本他編訳『レコード・マネジメント・ハンドブック―記録管理・アーカイブズ管理のための』2016年 https://ndlopac.ndl.go.jp/F/?func=full-set-set&set_number=359329&set_entry=000002&format=999 他参照)。

作成からアーカイブズとしての利活用までを一連の連続した流れとして考えるレコードキーピング・モデルの場合は「コンテクスト」と「ストラクチャ」は作成段階から明らかであろう。一方、関連する資料を集めた”コレクションとしてのアーカイブズ”の場合、上にのべたように「コンテクスト」と「ストラクチャ」は、資料の集積を編成/記述するという知的作業を行わないことには可視化されない。編成/記述されてはじめて「目にみえるもの」になる。図書資料の場合は、あらかじめ設定された分類項目のどこに1点1点の資料を分類するのか、が目録作成作業の重要な要素であり、目に見えない「コンテクスト」と「ストラクチャ」を見出して編成/記述するというアーカイブズの整理とはまったく異なった作業である。

目に見えない「コンテクスト」と「ストラクチャ」を編成/記述によって可視化する作業に関しては、本ブログで公開させていただいた渡辺悦子さんのエッセイ「グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く」がわかりやすい事例である。

アーカイブズ資料を整理するにはこの編成/記述をどこまで行うか、が大きな問題である。そこに費やし得るコスト(時間、おカネ、人)とその資料の重要性によって、編成/記述のレベルは異なりうる。

なぜ「コンテクスト」と「ストラクチャ」が必要なのか?それはエビデンス(証拠)としての価値を担保するためである。エビデンスとしての価値を持たせる必要のないものであるならば、もちろん「コンテクスト」や「ストラクチャ」にかかずらわる必要はない。ただし、その場合、それらをアーカイブ、アーカイブズ、Archives、Archive、Archiv、檔案、档案、(역사적)기록물、Archivo、archīvum、Arkivo、・・・と呼ぶことはためらわれる。

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2016年12月28日 金沢 兼六園

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ロイヤル・ロンドン・ホスピタル博物館とアーカイブズ

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ロンドンのタワーハムレッツ区ホワイトチャペルにあるロイヤル・ロンドン・ホスピタル(RLH)の博物館を見学しました(2016年11月24日)。その時の写真をご紹介します。
http://bartshealth.nhs.uk/our-hospitals/the-royal-london-hospital/

 

地下鉄ディストリクト・ラインとハマースミス・シティ・ラインの駅であるホワイトチャペル駅のすぐそばにあるRLH。博物館も病院敷地内にあります。
http://bartshealth.nhs.uk/about-us/museums,-history-and-archives/the-royal-london-museum/

 

住所は
The Royal London Hospital Museum
St Augustine with St Philip’s Church
Newark Street
London E1 2AA

 

病院構内図内18の建物です。
(病院構内図)http://bartshealth.nhs.uk/media/162729/130320%20Royal%20London%20Hospital%20Map.jpg 

 

 

img_4342奥に見えるブルーの建物がロイヤル・ロンドン・ホスピタルの一部
(構内図1のメインビルディング)

 

 

博物館はもともとは聖フィリップ教会地下聖堂(クリプタ)だったということです。開館曜日と時間は、
火曜日~金曜日 午前10時~午後4時30分
(クリスマス、新年、復活祭、その他祝日は閉館)

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 博物館入口

 

 

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1740年の開院以来の歴史的資料を展示しています。ギフトショップではポストカードや書籍などを販売。

 

 

 

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一方、アーカイブズはホワイトチャペルの病院とは別の場所にあります。今回は訪問できませんでした。
http://bartshealth.nhs.uk/about-us/museums,-history-and-archives/the-royal-london-archives/

住所は
9 Prescot Street, London E1 8PR

事前の予約がある場合のみ利用可。下記連絡先に連絡、予約をとります。
メール:rlharchives@bartshealth.nhs.uk
電話:020 7377 7608

開館曜日と時間は
月曜日~金曜日 午前10時~午後5時まで
(クリスマス、新年、復活祭、その他祝日は閉館)

 

◎オンライン目録

http://www.calmhosting01.com/BartsHealth/CalmView/

このアーカイブズもイギリスのアーカイブズでよく利用されているAxielle社のCALMを利用していますね。CALMはISAD(G)=国際標準記録史料記述一般原則に準拠したアーカイブズ資料のデータベースシステムです。ウェブサイトによると、800年以上にわたる記録とモノ史料をカバーし(中世の権利証書から20世紀の医療登録簿、写真、診断録など)約5万件のデータが搭載されています。博物館の資料もこのデータベースでアーカイブズ資料とともに管理していることがわかります。(このデータベースにはほかに聖バーソロミュー・ホスピタルのアーカイブズ資料情報も含まれます。)

 

◎聖バーソロミュー・ホスピタル・アーカイブズ
http://bartshealth.nhs.uk/about-us/museums,-history-and-archives/st-bartholomews-archives/

 

 

 

 

◎英国国立公文書館(TNA)Discovery ロイヤル・ロンドン・ホスピタルを記録作成者(Records Creator)とする記録資料コレクションに関するページ

http://discovery.nationalarchives.gov.uk/details/c/F193507

 

ロンドン・タワーハムレッツ地域史図書館&文書館 Tower Hamlets Local History Library and Archives

タグ

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〈Acknowledgements〉

The author thanks to Tamsin Bookey, Heritage Manager, and Melanie Strong, Librarian, of the Tower Hamlets Local History and Archives, who kindly provided helpful information for this article.

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This work (except the photos) licensed under a Creative Commons Attribution 4.0 International License.

この作品は(写真を除いて)クリエイティブ・コモンズ表示4.0国際ライセンスの下に提供されています。

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はじめに

Introduction

 

2006年以来会員であるビジネス・アーカイブズ・カウンシル(Business Archives Council: BAC、本部はイギリス・ロンドン)の年次会合に参加しました(同カウンシルのニューズレター2005年夏号会誌2006年5月発行91号に短い記事を書いたことがあります。)今年の年次会合は11月21日にカナリーワーフにあるHSBCの本店で開催されました。BACカンファレンスの後はバーミンガム近郊のボーンビルにあるモンデリーズインターナショナル社の企業アーカイブズとレディング大学の見学(アーキビストが担当する部分:貴重書特殊コレクション、同大学のイングランドの田舎生活博物館 Museum of English Rural Life のアーカイブズ)を見学しました。これらは事前にアポイントメントをとっての訪問でした。

ロンドン滞在中はカナリーワーフにほど近いホワイトチャペル地区に宿泊していたので、空き時間にタワーハムレッツ・ロンドン特別区が運営するアーカイブズを訪問してみました。ホワイトチャペルもカナリーワーフもともにタワーハムレッツ・ロンドン特別区の一部です。タワーハムレッツのカウンシル(区役所)運営のアーカイブズ(名称はタワーハムレッツ地域史図書館&文書館、Tower Hamlets Local History Library & Archives)は、「図書館」と「学び」と「情報」にかかわる「アイデアストア」の一部です。

以下、必要最小限でタワーハムレッツ特別区の「アイデアストア」に関して説明しておきます。

イギリスのシティ・オブ・ロンドン東部に位置するタワーハムレッツ特別区は歴史的な経緯からバングラデシュなどアジア系をはじめとする移民が多く、貧富の格差が大きく、これは社会的な問題と認識されてきました。1990年代後半、従来の「図書館」が地域のニーズに答えていないという調査結果が得られたこともあり、コミュニティ・センター的な機能を強化し、IT技術を活用し、利用者サービスの向上を目指して打ちだされたブランディング・コンセプトが「アイデアストア」です。
https://www.ideastore.co.uk/home

タワーハムレッツの「アイデアストア」開発発展の経緯・コンセプトに関しては下の文書が基本的文献と思われます。

「タワーハムレッツのための図書館と生涯学習の開発戦略:カスタマーサービス、芸術・娯楽・スポーツと若者のための教育理事会、コミュニティ・サービスによって開発された共同合意戦略」1999年4月
A Library and Lifelong Learning Development Strategy for Tower Hamlets – A joint accommodation strategy developed by the Customer Services and Education Directorates for the Arts, Leisure, Sports and Youth and Community Services Committees, April 1999.
https://www.ideastore.co.uk/assets/documents/misc/A_Library_and_Lifelong_Learning_Development_Strategy_for_Tower_Hamlets(1).pdf

「アイデアストア」に関しては、すでに日本語でさまざま紹介がなされています。末尾に日本語参考文献を上げておきました。

今回(2016年11月22日)は滞在先のすぐ近くにあったホワイトチャペルのアイデアストアに入ってみました。閲覧・貸出用の書籍やDVD、CDのほかに、アイデアストアで開講されている「読み書きそろばん」(English and Maths)をはじめとする多数の講座に関する88ページの案内 “Idea Store Learning Course Guide 2016-17: Time to Learn” が目立つ場所に置かれていたのがたいへん印象的でした。

 

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ウィキペディアによると同区の2014年半ば現在の人口が約28万人区内には5つのアイデアストアと2つの従来型図書館、そして地域史図書館&文書館があります。

■ボウ アイデアストア(2002年5月オープン)
Idea Store Bow
https://www.ideastore.co.uk/idea-store-bow

■クリスプストリート アイデアストア(2004年7月オープン)
Idea Store Chrisp Street
https://www.ideastore.co.uk/idea-store-chrisp-street

■ホワイトチャペル アイデアストア(2005年9月オープン)
Idea Store Whitechapel
https://www.ideastore.co.uk/idea-store-whitechapel

■カナリーワーフ アイデアストア(2006年3月オープン)
Idea Store Canary Wharf
https://www.ideastore.co.uk/idea-store-canary-wharf

■ワットニーマーケット アイデアストア(2013年5月オープン)
Idea Store Watney Market
https://www.ideastore.co.uk/idea-store-watney-market

■ベスナルグリーン図書館
Bethnal Green Library
https://www.ideastore.co.uk/bethnal-green-library

■キュービットタウン図書館
Cubitt Town Library
https://www.ideastore.co.uk/cubitt-town-library

■地域史図書館&文書館
Local History Library & Archives
https://www.ideastore.co.uk/local-history

 

それでは、本題のタワーハムレッツ地域史図書館&文書館の紹介に進みたいと思います。

 

タワーハムレッツ地域史図書館&文書館

Tower Hamlets Local History and Archives

 

地下鉄ディストリクト線またはハマースミスシティ線のStepney Green下車徒歩、ホワイトチャペルロードをMile End方向に歩き、ロンドン大学クイーン・メアリー・カレッジを横切るバンクロフトロードを左折します。駅から5分程度歩くとタワーハムレット地域史図書館&文書館があります。

英国国立公文書館ディスカバリーの同館に関する機関情報のページもを参照すると便利です。 http://discovery.nationalarchives.gov.uk/details/a/A13530309

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img_43371階のホールと受付。受付にたっているのはキース・ヘンニー Keith Henney さん

◎インタビュー

事前のアポイントメントなしでの訪問でした(2016年11月24日10時)。カウンター業務にあたっていた館長にあたるヘリテージ・マネジャー Heritage Manager のタムジン・ブッキーTamsin Bookey さんとライブラリアン(司書)のメラニー・ストロング Melanie Strong さんに、区内の他のアイデアストアとの関係、スタッフの概要についておうかがいしたところ、丁寧に質問に答えていただけました。

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 (左)ライブラリアンのMelanie Strongさん (右)ヘリテージ・マネジャーのTamsin Bookeyさん

 

おふたりによると、上記の区内アイデアストア・図書館・文書館のうち、専門的な資格を持った職員(アーキビスト、ライブラリアン)が勤務するのは、このタワーハムレッツ特別区地域史図書館&文書館のみで、他の館で業務にあたっているのは、すべてカスタマー・リレーションという職種の人たちです。

この地域史図書館&文書館のスタッフの内訳は、アーキビストが3名、ライブラリアンが2名、非専門職が1名の計6名。アーキビストのうち、タムジンさんはヘリテージ・マネジャーという肩書で、館長(管理職)を務めています。他の2名のアーキビストがアーカイブズ資料の管理に当たるいっぽう、ふたりのライブラリアンのうちメラニーさんの同僚のライブラリアンは主としてアウトリーチを担当、メラニーさんは図書資料の管理を主として担当しています。

タムジンさんにこれまでの経歴をうかがったところ、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の大学院でアーカイブズ学(記録管理学を含む)を学び、英国赤十字社でレコードマネジャーの職を得て、その後ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス(LSE)とブラック・カルチュラル・アーカイブズでアーキビストとして勤務。タワーハムレット特別区のアーキビストとして採用されて、現在はヘリテージ・マネジャーとして館全体を管理しているということです。

タワーハムレット地域史図書館&文書館は1階がロビーと収蔵庫で、2階は開架の閲覧室と収蔵スペースとなっています。2階の収蔵スペースは数年前までは貸出図書館Lending Libraryであったということです。アーカイブズ資料の収蔵スペースが1階部分のみでは足りなくなったため、2階の貸出図書館の書籍はホワイトチャペルのアイデアストアに移管してそちらで管理するとともに、空いたスペースをアーカイブズ資料の収蔵に用いています。(ウェブサイトによると館内の一部は有料の賃貸スペースとなっています。)

 

img_4300(上写真)かつての貸出図書館スペース。現在は収蔵に用いている。張り紙がしてあります。

この日は事前の予約なしの訪問で、また筆者のスケジュールの都合上、詳しいお話をうかがったりじっくり資料・施設を見学することはできませんでした。しかし、事前に予約をすれば館内を案内してくださるそうです。タムジンさんによると、韓国をはじめ外国からの団体視察があるというお話でした。

 

◎基本情報~ウェブサイトより

https://www.ideastore.co.uk/local-history

■住所:277 Bancroft Road, London E1 4DQ
■電話:020 7364 1290(イギリス国番号は44)
■Email: localhistory@towerhamlets.gov.uk
■Twitter:@LBTHArchives

■開館時間:
月 展示のみ
火 午前10時~午後5時
水 午前9時~午後5時
木 午前9時~午後8時
金 展示のみ
土 午前9時~午後5時(毎月第1、3土曜)

■登録:利用のためには登録が必要です。
https://www.ideastore.co.uk/assets/documents/Local%20History%20Archives%20Online/local%20hist%20registration%202015%20v2.pdf (PDF)

■車いすでのアクセスが可能


◎コレクション紹介~ウェブサイトより

所蔵資料はコレクションごとに体系的にウェブサイトに掲載されています。各種のガイド類や刊行物はPDFとともに一部は(全部ではないと思います) ISSUU(電子出版プラットフォーム) を利用した電子出版物としてもサイトに埋め込まれており、非常に見やすく親切であると筆者は感じました。

 

◆利用者ガイドのページ(このページから各種コレクションへリンク)
User Guides
https://www.ideastore.co.uk/local-history-collections-user-guides

◇家族史
Discover Your Family History
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-discover-your-family-history

あなたの家族史を発見しよう(PDF)
Discover Your Family History(PDF)
https://www.ideastore.co.uk/assets/documents/discover%20family%20history.pdf

◇歴史的な環境に関連するコレクション類
Collections Relating to the Historic Environment
https://www.ideastore.co.uk/local-history-collections-relating-to-the-historic-environment

◇ベンガル人のイーストエンド
The Bengali East End
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-the-bengali-east-end

◇選挙登録ガイド
Electoral Register Guide
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-electoral-register-guide

◇家族史リサーチと参考図書
Family History Research and Reference Books
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-family-history-research-and-reference-books

◇新規受け入れ図書・刊行物
New Books and Publications
https://www.ideastore.co.uk/local-history-new-books

◇ユダヤ人先祖ガイド
Jewish Ancestry Guide
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-jewish-ancestry-guide

◇地元の歴史に関わる新聞、雑誌、ニューズレター
Local History Newspapers, Magazines and Newsletters
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-local-history-newspapers-magazines-and-newsletters

◇礼拝場所についてのガイド
Places of Worship Guide
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-places-of-worship-guide

◇権利証書利用者ガイド
Title Deeds User Guide
https://www.ideastore.co.uk/title-deeds-user-guide

◇DVDコレクション
DVD Collection
https://www.ideastore.co.uk/local-history-dvd-collection

貴重書
Rare Books
https://www.ideastore.co.uk/local-history-rare-books

◇地元作家と地元文学
Local Authors and Literature
https://www.ideastore.co.uk/loca-authors-literature

 

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◎オンライン目録

http://www.thcatalogue.org.uk/

英国の多くの文書館で利用されているAxiell社のCALMを利用しているようです。

◎開催中の展示

 

◇企画展「ブリックレーン生まれ:ラージュ・バイジャナタンによる写真(1983~1989)」
2016年10月11日(火)~2017年1月7日(土)
Brick Lane Born Exhibition: Some photos by Raju Vaidyanathan, 1983-1989
Exhibition and Events
Tuesday 11 October – Saturday 7 January
https://www.ideastore.co.uk/local-history-brick-lane-born

 

タワーハムレットのスピッタルフィールズ地区で育ったラージュ・バイジャナタンが少年時代にあたる1980年代に取りためた写真を展示する企画。アジア系の十代の少年の目を通してみた地元の歴史がフィルムに焼き付けられているものです。ラージュは2015年にアイデアストアの写真コースに登録し、これをきっかけにフィルムを初めて現像し、当時の地域の様子が再現されることになりました。案内文によると、この展覧会はもちろんラージュ・バイジャナタンにとって初めての展覧会であるとともに、おそらくアジア系の文化的伝統を持つものによる1980年代のスピッタルフィールドに関する展覧会としても初めてのものであろう、ということです。

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企画展「ブリックレーン生まれ:ラージュ・バイジャナタンによる写真(1983~1989)」
1階ロビー壁面に展示している様子

 

 

◎その他

◇デジタルギャラリー(日本で言う「デジタルアーカイブ」に相当すると思われます)
Digital Gallery
https://www.ideastore.co.uk/digital-gallery-search

◇アイデアストア利用者のためのフリー・リソース
Free Resources for Idea Store Users
https://www.ideastore.co.uk/local-history-online-free-resources-for-idea-store-users

◇地元の歴史歩き
Local History Walks
https://www.ideastore.co.uk/local-history-online-local-history-walks

◇地元の歴史地図
Local Historical Maps
https://www.ideastore.co.uk/local-history-online-local-historial-maps

◇地元の歴史ポッドキャスト
Local History Podcasts
https://www.ideastore.co.uk/local-history-online-podcasts

◇役に立つウェブサイト
Useful Websites
https://www.ideastore.co.uk/local-history-online-useful-websites

◇地元の歴史オンライン展示(これも日本で言う「デジタルアーカイブ」かもしれません)
Local History Online Exhibitions
https://www.ideastore.co.uk/local-history-online-exhibitions

◇役に立つ図書
Useful Books
https://www.ideastore.co.uk/local-history-resources-useful-books
◇イベント情報
What’s on
https://www.ideastore.co.uk/local-history-whats-on

◇地域史図書館&文書館ニューズレター
Local History Library & Archives Newsletter
https://www.ideastore.co.uk/local-history-services-local-history-library-and-archives-newsletter

◇歴史ホッパー
History Hoppers
https://www.ideastore.co.uk/local-history-hoppers
月に1回水曜日の午後2時半~4時までお茶を飲みながら地元の歴史について懇談する。

◇アウトリーチと教育
Outreach and Education
https://www.ideastore.co.uk/local-history-outreach-education
https://www.ideastore.co.uk/local-history-outreach-education

◇ショップ
Shop
https://www.ideastore.co.uk/local-history-shop
https://www.ideastore.co.uk/local-history-shop-publications-for-sale
https://www.ideastore.co.uk/local-history-shop-books-for-sale
https://www.ideastore.co.uk/local-history-shop-maps-posters-postcards-for-sale

 

 

おわりに

Wrap-up

企業アーカイブズを振興するには、企業そして経済の総体的な動きをよく理解しなくてはいけないとつねづね感じています。これは自治体や国のアーカイブズでも同様ではないか、とタワーハムレッツのアイデアストアと地域史図書館&文書館を見学(実際の訪問とウェブサイトの調査)して感じました。

筆者は以前「イギリスにおける「アーカイブズへのコミュニティ・アクセス・プロジェクト(CAAP)」:その歴史的背景と概要について」(2008年)という小文をまとめたことがあります。これは2003年から2004年にかけてイギリス国立公文書館その他が行ったプロジェクトを紹介したものです。そこで紹介したプロジェクトはアーカイブズに関する取り組みではあるのですが、その含意は移民や貧困層など社会のメインストリームとは言えないさまざまなコミュニティの人々を社会に統合すること(いわゆるソーシャル・インクルージョン)であり、そのためにICT(情報とコミュニケーションの技術)を用いるという、国や自治体レベルの政策課題への対応であると言えます。タワーハムレッツのアイデアストアとアーカイブズ(地域史図書館&文書館)の過去10数年にわたる取り組みもこのような文脈の中で理解することが必要です。

 

このような過去20年にわたる取り組みのなかで、図書館やアーカイブズの側(とりわけ図書館)では、そこで働く人に求められるものは何か、という問題が提起されています。アイデアストアという新しい形の公共的な図書館・情報サービスを立ち上げる際には、図書館員(とくに公共図書館員)が必要とする専門性に関する議論も生じました。下記参考文献で、須賀氏、荒井氏が職員のスキルや雇用・育成に関して報告しています。荒井氏の調査によると、アイデアストアにおける職員採用で重視されているのは、人との関わりのスキル、カスタマー・サービスであって、図書館学やレファレンススキルは後から学べばよい、という考え方で職員の採用が行われているということです。

一方、タワーハムレット地域図書館&文書館の例を見る限り、専門的な教育を受けた有資格者を区内でこの館にのみ配置しているということからも、 地域のアーカイブズ資料の整理や提供(デジタルを含む)には専門的な知識やスキルが必要とカウンシルが見なしていることは明らかです。

★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★

(ここから先はタワーハムレットを少し離れた議論に向かいます)

筆者がもう一つ(あらためて)興味深く思ったのは、地域の文書館の機関情報・目録情報が国立公文書館(TNA)のDiscoveryで検索可能である、という点です。
http://discovery.nationalarchives.gov.uk/details/a/A13530309

これはNational Register of Archives以来の蓄積があって可能となったサービスです。TNAが時々の技術を取り入れてよりよいサービスを構築していくその根幹にあるのは、個々の館におけるしっかりとした(時を貫く)資料整理と検索手段の構築ではないでしょうか。

★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★

CAAPが開始されて今年で13年、筆者がそれに関する小文をまとめて8年になります。今後も余裕があれば再びこの分野に関する見学や文献調査を行いたいと考えます。Brexit 以降の変化の有無、あるいは変化があるとすればその方向性も気になるからです。

★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★

 

 

 参考文献

 Reference

◎アイディア・ストア

「“新構想図書館「アイデアストア」(ロンドン・タワーハムレッツ区)の10年”-北海道ブックシェアリング荒井宏明氏による視察・インタビューの記録」(国立国会図書館 CAポータル 2013年8月16日)
http://current.ndl.go.jp/node/24185

「リポート 新構想図書館「アイデアストア」(ロンドン・タワーハムレッツ区)の 10 年」(北海道ブックシェアリング代表/札幌大谷大学社会学部非常勤講師 荒井宏明)
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-6zur64a27n4rqlg2qkwyju4hzm-1001&uniqid=d9fdd897-3685-4fa1-a572-77d8fa6bc868&viewtype=detail (PDF)

「イメージチェンジを図る英国の公共図書館」(慶應義塾大学文学部非常勤講師 須賀千絵)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/tosho/houkoku/06040715/023.htm

Idea Store(タワー・ハムレッツのカウンシルのページ)
http://www.ideastore.co.uk/

Idea Store ページ内アイディア・ストーリー
http://www.ideastore.co.uk/idea-story
1999年4月に文化・メディア・スポーツ省の大臣が「アイディア・ストア」の考えを打ち出した、とあります。このページではそれぞれのアイディア・ストアがどのような資金でまかなわれているかがわかります。ホワイトチャペルのアイディア・ストアの場合、タワー・ハムレッツのカウンシルの資金のほか、タワー・ハムレッツ・カレッジ、UKオンライン、欧州地方開発基金、ロンドン開発エージェンシー、シティサイド再開発、シュアスタート、セインズベリー・ファミリー・チャリタブル基金が出資しています。

Idea Storeページ内アイディア・ストアのデザイン
http://www.ideastore.co.uk/idea-store-design

Idea Storeページ内アイディア・ストアの戦略
http://www.ideastore.co.uk/idea-story-strategy

http://www.ideastore.co.uk/idea-story-strategy

Idea Storeページ内アイディア・ストア戦略クイックガイド

クリックしてstrategy%20quick%20guide.pdfにアクセス

◎その他

渡辺悦子「イギリス国立公文書館の連携事業」(2014年)
http://www.archives.go.jp/about/publication/archives/pdf/acv_54_p50.pdf
https://archiveskoubou.wordpress.com/2014/11/19/etsuko-watanabe-tna/

渡辺悦子「英国マンチェスター、アーカイブズ+(プラス)プロジェクト」(2015年)
http://www.archives.go.jp/publication/archives/no057/4163

渡辺悦子「英国ウェスト・ヨークシャー公文書館のコミュニティとの連携活動について」(2015年)
http://www.archives.go.jp/publication/archives/no058/4568

英国国立公文書館(TNA) ディスカバリー レディング大学 特殊コレクションhttp://discovery.nationalarchives.gov.uk/details/a/A13530239#.WDeTgqsOQSs

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安丸良夫先生「社会学部の学問を振り返って」(2006年6月3日)

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以下に掲載するのは、2006年6月3日に一橋大学で開催された第1回ホームカミングデーにおける講演「社会学部の学問を振り返って」で配布された資料です。講演者は、本年(2016年)4月4日にお亡くなりになった一橋大学名誉教授安丸良夫先生です。本ブログに掲載を快諾してくださった、ご遺族で著作権継承者の安丸彌生様に感謝いたします。

筆者は2004年末より企業史料・ビジネスアーカイブズへのアクセス、利活用向上にかかわる仕事にたずさわることになりました。どの国でもそうですが、アーカイブズにかかわる制度や社会的意識のありようによって、その国の企業のアーカイブズの水準というものが左右されることは普通のことです。そこで、企業アーカイブズの振興のために、企業にとどまらず、公的機関における公文書管理や教育・研究機関のアーカイブズの状況も広く見渡すように心掛けてきたつもりです。

2006年6月に開催された一橋大学の第1回ホームカミングデーでは、同大学附属図書館・学園史資料室による創立百年記念事業学園史関係刊行物の展示が行われました。主としてこの展示を見学する目的で同大学を訪れ、安丸先生のご講演も拝聴させていただきました。

最近手元の文書資料を整理している過程で、上に述べた講演配布資料を改めて手にとる機会がありました。短い文章(一部は箇条書きのまま)です。他にも関心を持つ人がいるかもしれないと思い、ご遺族にブログ掲載についてうかがってみたところ、快諾していただいた次第です。

一橋大学の沿革ついては、同大学附属図書館サイトに掲載されている年表が見やすいです。
http://www.hit-u.ac.jp/guide/organization/pdf/16_55-57.pdf (PDF)

本文の後に、国立大学の行事と公文書管理に関する短い文章を掲載しています。

—————————————————————————–

安丸良夫先生「社会学部の学問を振り返って」

 

<目次>

はじめに
1. 社会学部の成立; 理念と実態
(1) 新制一橋大学の成立と社会学部
(2) 発足時社会学部の学問の特性
(3) 後知恵の感想
2. 福田徳三の学問と学風
(1) 生涯(1874〜1930)
(2) 学説の大要
(3) 学制改革で急進的
(4) ラディカルな批判的リベラリズム
(5) 福田と田口卯吉
おわりに; 卒業生の活動に拾う

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[本文]

 

PDFファイル(書き込みあり)

「社会学部の学問を振り返って」

 

2006. 6. 3. 安丸

はじめに

1. 社会学部の成立; 理念と実態

(1) 新制一橋大学の成立と社会学部; 3学部1研究所で出発、社会学部の独立が認められなかった。2年後に法学部と分離独立。本学の歴史を大きく振りかえると、はじめに実学的性格の強い商業教育があり、そのなかから経済学系が自立化してきて、大学昇格運動の原動力に、しかし法学部系は商学・経済学の法的側面として小さいながらも早くから充実。1920年、商科大学昇格にさいして、学生の受講科目の構成を見ると、必修科目・選択科目ともに「商業学に属するもの」「経済学に属するもの」「法律学に属するもの」に分けられており、ほかに「語学に属するもの」が必修科目となっている。のちの社会学部に連なる線は、選択科目の最後に「四、その他、外交史、社会学、人種学、高等数学(Aニ)」とあるうちの社会学・人種学だけ。
ところが社会学部独立にさいして上原構想が全面に出されて、「本学部は、社会科学の総合的研究を必至とする新時代の要求に応じ社会諸科学に基礎理論を与え、それと他の人文諸科学との関係を明らかにし」(以下に教育学関係の記述が続く)、と社会学部に総合的で高邁な大理念が与えられ、「社会科学の総合大学の構想は同時に社会学部をもつことなしには成立しない」とされた。上原はまた、「教養としての文学、哲学が、実は他の専門諸科学にとって欠くことのできない基本的な創造性となるものであることを自覚し、教養と専門研究の総合を志して」いるのだとも述べている。

(2) 発足時社会学部の学問の特性; 上原・高島らの高邁な理想主義的理念に基づく、総合的な全体性、批判的な原理性、現代的な問題関心に立った実践意欲などがうかがえる。この時代の上原・高島の学問はそのようなもので広い社会性をもって発信されており、2人とも、退職後もそうした立場を貫き、思索を深めた。高島は、高齢になってからも重要な理論的著作をつぎつぎと発表。
発足時の社会学部の研究状況を表現するものとして、上原専禄編『社会と文化の諸相』(1955年)がある。11論文中、中国関係2篇以外はすべてヨーロッパの文学や思想など、その当時の社会学部が実際にカバーしえた領域が表現されている。
上原の世界史、高島の社会思想史と社会科学論は、こうした状況を越えようとする意欲的なもので、戦後日本の学問史のうえでも重要。たとえば上原の世界史の提唱は、歴史学・歴史教育に大きな影響を与えた。欧米と日本に中心をおいた一国史的な歴史学を批判し、「世界史的現実の生きた動きそのものは日本の歴史学の進歩よりもはるかに前にいってしまっている」として、「世界史的なものの見方」「現代史的なものの見方」を力強く主張。しかしこの論文で彼が世界史の新しい現実としてあげている事例は、バンドン会議(55年)で、現代の研究者の関心とは大きく異なっている(上原『歴史学序説』)。

(3) 後知恵の感想; 全体性、批判性、実践性への強い意欲とそれを具体的研究のなかで具体化することの困難さ、志あって力足りず、専門に特化しきれない素人っぽさ?こうした特徴は、歴史学に関してはある程度まで自覚されていたらしい。増田四郎によると、一橋歴史学の黄金時代は大学昇格運動の時代から商科大学時代までにあり、その特徴は、日本、東洋、西洋の垣根を取りはらった”素人の歴史”、在野精神、日本社会の学問的位置付けという実践性にあり、「三浦(新七)先生の一番好きな言葉は”素人の歴史”」だった(『一橋の学風とその系譜 2』)。山田欣吾はその増田を、増田は「自らの歴史を好んで「しろうとの学問」と称んだが、これぐらい適確に教授の学風を言いあてている言葉はない」とする(『一橋大学学問史』)。称賛の意味だが、山田の立場からの自分と増田の区別化?

 

2. 福田徳三の学問と学風

全体性、批判性、実践性を一身に体現したのが福田、大学昇格運動以降の一橋の学問は、福田の系譜を引くものが多い。こうした包括性のゆえのエネルギーと情熱、またその故の学生への説得力。

(1) 生涯(1874~1930); 東京神田の刀剣商の家に長男として生まれる。85年、母信子の意向で植村正久より受洗、信子は明治女学校創立者木村鐙子の親友、その弟が田口卯吉、福田は小学生のころ『日本開化小史』を読み、田口を慕って経済学者になったとする。98年ドイツ留学、主としてミュンヘン大学でL・ブレンターノに学ぶ。同年12月、「欧米商業教育の近況」を同窓会々誌に寄せる。1901年1月、福田ら8人、ベルリンに会し「商業大学設立の必要」を草し、同窓会々誌に発表、大学昇格運動はじまる。同年9月帰国。1904年1月、会計官の公金横領事件についての学生大会で、福田、松崎校長を罵倒、公金不正流用の名目で同年8月休職、慶應教授となる。しかし休職中も学生とのかかわりは持続し学生には圧倒的人気、1910年、講師として復帰、19年教授。同年吉野作造らと黎明会組織、1925年、モスクワ学士院200年祭に招かれ、ケインズの講演を批判、ソヴィエト側とも論争。1928年、3・15事件とのかかわりでの河上肇辞任問題で京大当局などを批判。

(2) 学説の大要; 生存権を根本におく厚生経済学、「財産を中心とする私法はこれに対しては助法…私法の原則の発動は根本権と矛盾するものは徐々に改更せらるるをうべし」(「生存権概論」)。市場原理、それによる生産力発展が前提だが、しかしそれ自体が自己目的ではなく、「資本主義社会に於ける共産原則の展開」(『厚生経済研究』)が福田の立場、そのためには生存権の尊重と労働組合運動など労働者階級の闘争が重要。現代の福祉国家論につらなるが、マルクス労働価値説を含めた階級闘争の積極的肯定で異なる。ソヴィエト社会主義は流通の正義を否定した配分の正義の立場で、生産力発展を阻害していると、労農ロシアを見る。
福田の経済学説は、社会問題と労働問題が重要な意味をもつようになり、体系化されはじめたあたりでマルクス主義の影響力の拡大に遭遇した。福田はこうした状況から当時の日本では少数派となったが、それは当時の思想状況からいはば割を食ったもので、むしろ現代によくあてはまるか。

(3) 学制改革で急進的; 「大学の本義とその自由」という論文で、徹底した大学自由論。大学とは、「研究者の研究の為めにする自由、自治、独立なる団体是なり」、この研究者には学生も含まれる。エスケープ、カンニングなどは「専門学校の宿弊」、「如何に厳重に取締るとも此等の悪習は決して已むものにあらず、其故は専門教育を授くるに研究を本位とせざるの一事にあり、教ゆる者に研究なくして何ぞ清新溌剌たる英気あらんや」。

並行講義、ゼミナール制、必修科目削減など。

(4) ラディカルな批判的リベラリズム; 立憲的国民国家日本の理念は前提、天皇へも穏和な敬虔さ?しかしそうした前提が共有されるべきだと確信しているため、その立場からの批判に徹底性。国民国家的公共圏の内部での最急進派?「笛吹かざるに踊る」はそうした立場の典型。28年4月、3・15事件とのかかわりで、河上肇は京大当局から辞職を求められ、依願免官、だが福田によれば、国体にかかわるということで京大当局は「神経興奮症に陥っている」、自分は学説上は河上に反対で今も論争中だが、この問題では自分は断固として河上を擁護するという。河上は「如何なる場合にも、国法に触るゝが如き行為を敢てする人でないことを、ニ十余年にわたる学交の間において熟知してゐる」。学生についても、彼らをこうした行為に進ませたことを深く反省すべきは官憲の側だ(『厚生経済研究』)。

(5) 福田と田口卯吉; 田口はアダム・スミス流の自由主義経済論をとっているので、ブルジョアジーのイデオローグとされやすいが(森戸辰男など)、日本のブルジョアジーはつねに政府の保護干渉を求め、自由放任を求めたことがない。田口はすべての特権に反対するために自由主義経済論をとったのであって、田口の思想の本質は平民主義、文明開化主義、自由民権主義。「旧幕臣江戸っ子」である田口の思想は、「始終一貫政治的被抑圧者のイデオロギー」、もっと長生きすれば、河上に代って日本一のマルキストになったかもしれない、という(『厚生経済研究』)。
「大不平から出づる大公平の論」(『経済学論攷』)とは、福田の田口評だが、福田本人にいっそう該当しよう。それを支える情熱と論争性・レトリック。

 

おわりに; 卒業生の活動に拾う

あ)三浦展『下流社会』(2005年、光文社新書)
い)津田眞澂『新世代サラリーマンの生活と意見』(1987年、東洋経済新報社)
う)『現代思想』と池上善彦

 

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国立大学の行事と公文書~一橋大学の法人文書ファイル管理簿

 

この講演は2006年(平成18年)6月に開催された第1回ホームカミングデーの一環として行われました。大学主催の行事については、この行事に関して作成した公文書の綴り、法人文書ファイルがあるはずです。同大学の公文書に関する情報は、大学のウェブサイトの「情報公開」のページで知ることができます。
http://www.hit-u.ac.jp/guide/information/index.html

第1回ホームカミングデーについては法人文書・個人情報ファイルのページを参照します。
http://www.hit-u.ac.jp/guide/information/disc_01.html

法人文書ファイル管理簿(平成27年度)が公開されています。(「法人文書ファイル管理簿の閲覧」)
http://www.hit-u.ac.jp/guide/information/pdf/hojin_file_kanribo.pdf (PDF)
PDFで259ページあります。

21ページ目の大分類:総務課、中分類:儀式・諸行事、法人文書の名称:第1回ホームカミングデー(平成18年度)、がこのイベントに関わる公文書のファイルになります。表によると保存期間は10年、保存期間満了は2017年3月31日、保存期間が満了したときの措置は廃棄、保存場所は総務課、といったことが分かります。このファイルはあと5カ月で保存期間満了を迎え、廃棄されることになっています。

公文書管理法制定以後、国立大学では文書館を設置して、原課での保存期間が満了したもののうち、歴史的な価値があると評価されたものを文書館(アーカイブズ)に移管して管理するという体制を整えつつあります。

国立公文書館リンク集 「国立公文書館に類する機能を有するものとして、公文書管理法に基づき定められた施設」
http://www.archives.go.jp/links/#Sec_03

独自の文書館を持たない一橋大学などでは、公文書を一般の国民が閲覧する場合は、公文書管理法16条に定められた利用請求ではなく、情報公開法による開示請求をして閲覧します。
http://www.hit-u.ac.jp/guide/information/system.html (制度の概要)
http://www.hit-u.ac.jp/joho-kokai/format_1.pdf (法人文書開示請求書。PDF)

なお、大学アーカイブズ関係の専門家の方に確認したところ、講演者(著作権者)が、講演資料は大学が出版する権利を持つ、といった契約・取り決めを事前にしていない限り、著作権者の許諾があれば公開できるということでした。この点、万が一、事前の契約・取り決め等があった場合はたいへん恐縮ですが、ご連絡いただけると幸いです。

渡辺悦子「グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く」(2016年)

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This work is licensed under a Creative Commons Attribution 4.0 International License.

The author and editor/publisher thank the University of Glasgow Archive Services for its permission to use and publish the image of Dr Tanakadate’s matriculation slip (GB248 R8/5/10/8, University of Glasgow Archive Services) in this article. Although this article is published under the license stated above, the image of Dr Tanakadate’s matriculation slip (GB248 R8/5/10/8, University of Glasgow Archive Services) is not licensed under the same license, Creative Commons Attribution 4.0 International License. If you would like to re-use this article and include the image of Dr Tanakadate’s matriculation slip, please contact the University of Glasgow Archives Services and you should obtain permission for the image.
The author and editor/publisher also thank Mr. Akira Matsuura, great-grandson of Dr. Tanakadate for the permission to publish this essay, which was originally published in the fourth issue of  「田中舘愛橘研究会会誌」 Tanakadate Aikitsu Kenkyukai Kaishi (Journal of the Society of Tanakadate Aikitsu) , of which Mr. Matsuura is the editor and publisher.  (Updated on 24 October 2016)
著者と編者・発行者はグラスゴー大学アーカイブズが、同アーカイブズ所蔵の「愛橘博士の学籍登録簿(グラスゴー大学アーカイブズ GB248 R8/5/10/8)」を本ブログサイトへの利用を許諾してくださったことに感謝します。本エッセイはクリエイティブ・コモンズ表示 4.0 国際 (CC BY 4.0) の条件で提供されていますので、同条件にしたがう限り、営利目的も含め、どのような目的であっても、あらゆるメディアやフォーマットで資料を複製・再配布できますし、資料をリミックスしたり、改変したり、別の作品のベースにしたりできます。ただし、「愛橘博士の学籍登録簿(グラスゴー大学アーカイブズ GB248 R8/5/10/8)」はクリエイティブ・コモンズ表示 4.0 国際 (CC BY 4.0)適用の対象外です。この画像を利用するためには、グラスゴー大学アーカイブズにあらためて利用申請してください。
また、「田中舘愛橘研究会会誌」の編集・発行者である、松浦明氏(田中舘愛橘博士曾孫)には本エッセイのブログへの転載にあたってご快諾いただきました。心より感謝申し上げます。(2016年10月24日更新)

 

編集者より

以下で紹介する渡辺悦子さんによるエッセイ「グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く」は、英国スコットランドのグラスゴー大学アーカイブズ(文書館)に所蔵されている田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)博士関係日本語資料の整理の経験について書かれたものです。田中舘博士は岩手県出身の物理学者で、東京帝国大学教授、国際度量衡委員会委員、帝国学士院会員、文化勲章受章者としてのほか、ローマ字論者としても知られています。ウィキペディア「田中舘愛橘」のページへ

このエッセイは田中舘愛橘研究会が発行する「田中舘愛橘研究会会誌」第4号(2016年3月発行)の巻頭に掲載されたものです。同誌は基本的には会員への配付を想定した冊子で、愛橘博士の故郷である岩手県立図書館に1~3号が所蔵されていますが、一般には入手が困難な冊子と言えます。

編集者は、エッセイ中でふれられているアーカイブズ資料の編成arrangementの部分が、資料整理に携わる人々に有用であると感じ、著者の渡辺悦子さん、「田中舘愛橘研究会会誌」の発行者松浦明さんにインターネットでの公開をお勧めしたところ、即座に快諾していただけました。このエッセイをきっかけに、愛橘博士への関心が高まり、著者の渡辺さんが記しているように、「グラスゴー時代の愛橘博士についての本格的な研究」が始まってほしいと思います。さらに国境を超えて研究に励む科学者についての研究では、滞在先の大学や研究所のアーカイブズが強力な味方になってくれることを知っていただけたらと思います。

なお、本稿末尾に著者・渡辺悦子さんの略歴を掲載しました。   (松崎裕子、2016年10月24日記)

渡辺悦子「グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く」(2016年)

Etsuko Watanabe, “Dr Tanakadate’s life in Glasgow”(2016)

 

冊子版(Printed version) PDF
(冊子版記事に関する書誌情報は末尾に記載)

著者版(Author’s manuscript) PDF

 

[本文](著者版による)

グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く

渡辺 悦子

はじめに

私と愛橘博士との関係は、ストレートには説明しづらい。私は物理学者でもなく、科学史研究者でもない、愛橘博士を研究の対象としているわけでもない。もともと日本史を専攻し、京都で考古学の発掘調査等にたずさわっていた者であった。東日本大震災の際、被災地で多くの個人収蔵資料が津波の被害を受けたことを知った時、大学や地元の有志の方々が行う資料保存活動に参加した。その時、欧米諸国では、どんな小さな町にもアーカイブズという、町の歴史に関わる記録を保存する公的施設があることを知った。その制度や社会的位置づけを体感し、アーカイブズ学を学ぶために、この分野の先進国であるイギリスへ渡ったのがそもそもの始まりだったのである。

「アーカイブズ」という「施設」は、日本ではまだあまり知られていない。文書館、公文書館などの名で翻訳されることが多い施設で、簡単に言うならば、個人や団体、組織が作成・収受した記録を、現在・将来にわたって、管理・保存し、利用に供する機関(公的・民間を問わず)である。過去の記録は現在の意思決定のための重要な「情報」源となる。そのため、昔から記録は常に権力のそばで管理・統制・独占されてきた。それが、ヨーロッパでは1789年のフランス革命をきっかけとして、国・国民を支配・管理した記録は、国民に帰すべきという考え方が広がり、近代アーカイブズが誕生する。この考え方は民主主義を支える仕組みとして広く欧米諸国に拡大、国家や自治体政府の活動を国民がチェックするための機能として、社会に根付くこととなった。そのため、欧米諸国では、国や地方政府機関はもちろん、企業や病院、学校、市民団体にいたるまで、活動の記録を保全・保管する「アーカイブズ」を持つことが広く一般的となっている。

そういったアーカイブズで、資料の収集・保存を行い、資料を利用する人の手助けをする専門職がアーキビスト(archivist、或いはinformation professional情報専門職ともいわれ、一般に情報管理学コースの修士号を取得しているのがイギリスでは一般的)である。私はこのアーキビストとなることを目指し、イギリスに留学することにした。イギリスにはこういったアーカイブズ学/情報管理学を学べる大学が6つあり、そのうちの一つがグラスゴー大学だった。

グラスゴー大学は、1451年創立の、スコットランドで2番目に古い大学である(イギリス全土では4番目に古い)。そのため、創立以来550年以上にわたる様々な記録を保存するアーカイブズを持っている。グラスゴー大学アーカイブズは、そうした組織としての大学の記録を保存し、様々な資料収集を行う一方で(注1)、グラスゴー大学で学び、その後社会に貢献した卒業生達の大学在学時代に関わる資料の収集にも努めている。これは、グラスゴー大学が社会に対してどのような役割を果たしてきたかを証明するための活動となるからである。かつてこのグラスゴー大学に留学した愛橘博士の資料が収集対象となったのも、そういった活動の一環である。

私が愛橘博士の資料と出会ったきっかけは、そんなアーカイブズ学を学ぶ過程においてだった。グラスゴー大学アーカイブズのアーキビストが講師を務める講義の中で、ある日、大学が所蔵する資料の中には、外国人留学生のものもあることが紹介された。それがやがて日本人留学生の資料の話へと進むうち、大学アーカイブズがせっかく収集した資料だが、誰も日本語を読めないせいで、資料の整理が進まず、利用者に提供するための目録作成が止まっている資料があるとの説明がされた。かねてよりイギリスのアーカイブズの手法を実地で習得したいと希望していた私は、大学アーカイブズの資料整理にたずさわれるまたとない機会に遭遇し、早速お手伝いを申し出ることにした。そうした先に待ち受けていたのが、愛橘博士の資料だったのである。

2.グラスゴーとグラスゴー大学

さて、本論に入る前に、愛橘博士が2年間にわたり暮らしたグラスゴーの町と、博士が学んだグラスゴー大学の歴史について、まずは簡単に紹介してみよう。

Glasgow Central station

Glasgow Central station

グラスゴー・セントラル駅 外観

右の写真[原文のママ。上の写真のこと。編者注]は、イングランド方面からグラスゴーを訪れる人たちの玄関口となるグラスゴー・セントラル駅である。駅舎と一体化しているセントラルホテルの外観は、グラスゴーに到着した人々が最初に目にするこの町の威風となっているが、1888年、愛橘博士がグラスゴーに到着した頃、この駅はより南のクライド川に近いところにあったため、ロンドンを経由して汽車で北上した博士が到着したのはこの駅舎ではない。ただし、1900年代初頭、駅が現在の位置に移設された時に駅舎と一体化されることになったセントラルホテルは当時から存在し、グラスゴーに来た愛橘博士もみたであろう。この駅はその名の通り、現在のグラスゴーの中心地にある。

2-1.地理的特徴

グラスゴーはご存知の通り、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に属する国・スコットランドの都市で、人口は首都エジンバラの5倍にのぼる、同国最大の都市である。

Map of Scotland

Map of Scotland

同国の地理的特徴を簡単に紹介すると、大きくハイランドと呼ばれる高地帯とローランドと呼ばれる中央の低地帯にわかれる。グラスゴー都市圏の北限辺りから東西にハイランドライン(地質学的呼び名、ローランドとハイランドの境界)が走り、それより以北がハイランドとされる。一方、グラスゴーから南へ向かえば、すぐにSouthern Upland(南部高地帯)と呼ばれる山間部となる。言うなれば、スコットランドには、ローランド地域にしか都市が形成可能な平地がないという地理的状況となっており、そのわずかな平野部の東、北海側に首都エジンバラが、西部大西洋側にグラスゴーが位置していることになる。

気候は大まかに、暖流の北大西洋海流の恩恵を受ける比較的温暖な西部と、海流の影響が届かない寒冷な東にわかれる。しかしながら西部地域は、大西洋からの暖流に運ばれた水分を多く含む大気がハイランドの寒冷な高地にぶつかることにより、西部平地帯に多くの雨をもたらすこととなっている。「一年のうち300日が雨」と言われるほど多雨なグラスゴーだが、その要因はここにある(ただし、1日の数時間に雨が降るというだけで、一日中雨が降るという日は言われるほどに多くはない)。

2-2.町の歴史

続いて、グラスゴーの町の歴史的な背景を簡単にみてみよう。今でこそスコットランド最大の人口を抱える大都市となっているグラスゴーだが、実は歴史上、首都となったことはない。エジンバラをはじめ、ハリウッド映画「ブレイブ・ハート」で知られるスコットランドの英雄、ウィリアム・ウォレスがイングランドに対し歴史的勝利とおさめたスターリンの戦いで著名なスターリン、またクライド川河口にあるウォレスの盟友、ロバート王の拠点であったダンバートンなどの町が国の中心となってきたが、対するグラスゴーはというと、グラスゴー聖堂を中心とした教会自治都市であり、かつクライド川の水運を利用した商業都市としてはじまった町だった。

グラスゴーに大きな変化をもたらしたのはやはり産業革命である。その発展の前史ともいえるのが、クライド川に発展した水運業と、グラスゴーの町の立地そのものだった。川の河口は、現在もアメリカ軍の原潜基地となっているほどの天然の良港である上に、ブリテン島で新大陸アメリカに最も近い玄関口にあたったことから、グラスゴー商人は対アメリカ貿易の主導権を握ることに成功、新大陸から運び込まれるタバコ貿易の富を集中させた上で、アメリカ植民地の需要に応えるための布や鉄砲、皮製品等をとりそろえて輸出するという商業構造をつくる。タバコ貿易の富は、それら植民地へ輸出される製品を製造する工場の建設へつながり、こうしてその後の発展の基礎となる一大富を築くことになる。

第二の段階として、綿織物工業の発展があげられる。スコットランドの地場産業だった綿織物が、たばこ産業によって蓄積された資本、イングランドで発明された織機、スコットランドの水力資源の3つを得て一気に拡大、大規模な労働者の流入をよび、1830年代にはついに首都エジンバラの人口を抜いて、スコットランド最大の都市となる。

綿織物工業で得た富はやがて重工業化の基礎となり、さらなる産業革命が推し進められることになる。ランカスターの鉄鋼をもとに、造船と機関車製造等を中心とした産業が、グラスゴーを名実ともに世界的都市にする。イギリスではロンドンに次ぐ第2位の都市として、The second city of the Empireと呼ばれ、その富は大英帝国の繁栄を支えたと言われている。東のエジンバラと西のグラスゴーという両都市のライバル関係はつとに知られているが、首都エジンバラに対し、自分達こそがスコットランドの発展を築いてきたというグラスゴーの人々の自負に依るものであろう。

しかしながら第二次大戦後、グラスゴーの経済は急激に悪化、相次いで造船所は閉鎖され、一時は治安の悪さばかりで名の知られる町となってしまった。90年代以降、様々な改革により生まれ変わった町は、現在、ヨーロッパ諸国の人々にとって訪れたい町の上位に常にランクインするほど、芸術の街として知られている。

2-3.グラスゴー大学

グラスゴー大学の創建は1451年である。前項でも述べたとおり、グラスゴーの町は6世紀頃の創立と伝えられるグラスゴー大聖堂を中心に発展してきた。大学は、スコットランドで最初に創建されたセント・アンドリュース大学(故ダイアナ妃の長子・ウィリアム王子が学んだことで知られる)と同様に、聖職者教育からはじまった大学であり、当初はグラスゴー大聖堂が立地する現在のハイストリートの並びに設立された。ハイストリートは中世の街の中心であったが、現在はそれより西のブキャナンストリート、アーガイルストリートの両通り周辺が政治・商業の中心となっている。グラスゴーの町は、その後、さらに西へ西へと拡大の一途をたどることとなる。

イングランドのキリスト教が、16世紀、ヘンリー8世の離婚問題に端を発して英国国教会を新たに創設したことはよく知られているが、スコットランドはというと、同じく新教に位置付けられるとはいえ、カルヴァン派(長老派)と呼ばれる、謹厳実直を尊ぶ厳格な教義が伝統的に信仰される国である。イングランドの哲学や論理学、歴史学といった、いわゆる虚学に重きを据える学問的習慣に対し、実直なスコットランドの国民性が好んだのは実学である。グラスゴー大学はそのような実学を重んじるスコットランドの生んだ賜物であった。グラスゴー大学で現在世界的に高い評価を受けている学問分野は医学、獣医学等の分野だが、愛橘博士の在学当時に名声を博していたのは工学・機械学・造船学等である。このような工学分野を学科として設立したのは、グラスゴー大学が最古と言われており、スコットランドの産業革命を推進する原動力となった。

Gilmorehill Campus, the University of Glasgow

Gilmorehill Campus, the University of Glasgow

ギルモアの丘にそびえる本校舎

産業革命期、人口の集中により現在「シティー・センター」と呼ばれている地域の住環境が悪化してからは、富裕層は次第にウェスト・エンドと呼ばれる地域へと「疎開」していくことになるが、グラスゴー大学もその例外ではない。町の産業化、都市化とともに、いわゆるタウンvsガウン(注2)の争いが激化、また町のスラム化により、大学周辺の治安が悪化したことで、大学はウェスト・エンドへの移転を決定。1870年、現在のグラスゴー大学本校舎がギルモアの丘に建設された。建物の規模は現在も、イギリスにおいて2番目に大きい公共建築(1位はイングランドの国会議事堂)とされている。メイン・ゲートは、移転前からの建物を移築したもので、グラスゴー大学の中でも最も古い建築である。愛橘博士が大学に留学したのは1888年以降であるから、大学の移転からまだ20年もたっていない頃ということになる。

The main gate of the University of Glasgow

The main gate of the University of Glasgow

大学のメイン・ゲート

2-4.グラスゴー大学と日本人留学生

グラスゴー大学と日本人留学生との関係は、創価大学の北政巳氏や愛知大学の加藤詔士氏の著作が詳しい。実直かつ合理主義を重んじるスコットランドが実学を重んじたことは先に触れたとおりだが、この実学、特に工学や造船学といった、重工業を下支えする学問の盛んだったグラスゴー大学は、殖産興業で近代化を進める明治政府の関心を引いた。そうして最初に招へいされたのが、グラスゴー大学の教授、ヘンリー・ダイアー(1848-1918)である。ダイアーは後に東京大学工学部となる工部省工学寮に招聘され、1873年から1882年の10年に及ぶ在日期間中に、日本の工学専門教育の礎を築いた。ダイアーをはじめとし、彼が引き連れてきたスコットランドのお雇い教師達で後に愛橘博士と深いつながりを持つこととなるアルフレッド・ユーイング(1855-1935)やカーギル・ノット(1856-1922)は、多くの日本人学生をグラスゴー大学へ留学させることに尽力した。そうして派遣された明治の近代化を担う日本の若者は、スコットランド教育の精神でもある、実学を学んだのである。明治の近代化の時期の日本人留学生は官費・私費を含めると3,200人ほどに及ぶと言われるが、そのうちの実に50名程がグラスゴー大学へ留学している。余談となるが、大学アーカイブズで日本人留学生の記録を整理する中、当時マサチューセッツ工科大学行きの拝命を受けた某学生が、そんな二流大学ではなくグラスゴー大に派遣させよ頑としてゆずらなかったという記録を目にした。グラスゴー大学の当時の日本における位置づけの高さが垣間見えるものである。

アルフレッド・ユーイングのもとで学び、カーギル・ノット教授と日本で最初の地震のハザードマップを作ったとされる愛橘博士もまた、明治政府からグラスゴー大学行きを拝命した、公費留学生の一人であった。

3.大学アーカイブズと愛橘資料

さて、グラスゴー大学が所蔵する愛橘資料である。

愛橘博士資料がグラスゴー大学アーカイブズに収集されているのは、先ほど述べたように、大学が社会に対して果たしてきた役割を説明するためであり、これを「大学機関をより広い社会的文脈に位置付けるため」と説明している(注3)。当該研究者が属する学術分野等における国内外の評価、当該研究者のグラスゴー大学及び付属機関での機関の成長・発展への貢献度、および地域や国家への貢献度を斟酌し、ふさわしいとされた卒業生達の、大学在学時代に関わる資料がその収集の対象となるわけである。愛橘博士の記録はまさに、その収集方針に合致しているであろう。

グラスゴー大学アーカイブズが所蔵する愛橘博士関連の資料は二種類ある。一つは、学生登録証や成績表といった、いわゆる教育機関としての組織運営・管理の過程で作成された大学の機関資料である。もう一つが、愛橘博士がグラスゴー大学に在学していた、主に1888年~90年を中心とした時期に愛橘博士が受け取った親戚・友人や同僚からの手紙や買い物の領収書、小切手記録といったものであり、愛橘博士の曾孫である松浦明氏がその複製物を大学アーカイブズに寄贈したものである。本稿が扱おうとしているのは、主にこの、大量の手紙類となる。松浦氏が寄贈された資料は、複写物とは言いながら、上の写真[原文のママ。下の写真のこと。編者注]のように、透明のクリアファイルに丁寧に納められ、保存されている。

Dr. Tanakadate Aikitsu Records, the University of Glasgow Archives Services

Dr. Tanakadate Aikitsu Records, the University of Glasgow Archives Services

大学アーカイブズで保管される愛橘資料 (グラスゴー大学アーカイブズ提供)

アーカイブズでは、資料を出所原則で資料群ごとにまとまりをつくり、それぞれのまとまりごと、例えば記録の作成者別に分類し、さらにそれを時系列に編成するというように、様々なカテゴリーを階層的に編成して整理するという習慣がある。その階層化の方法には、様々なパターンがあるが、それらは資料群全体を見渡して見えてくる記録の構成やまとまりとしての特徴、あるいは各アーカイブズ機関における慣習などで、それぞれに異なってくるものである。

愛橘博士の資料には英語で書かれたものと日本語で書かれたものがあるわけだが、英語で書かれたものはすでにグラスゴー大学アーカイブズのボランティアによってある程度目録が作られていたので、私が担当したのは主に日本語で書かれた記録となる。

資料は、大学アーカイブズのアーキビストと相談しながら、次ページ図[原文のママ。下の図のこと。編者注]のような形で整理・分類し、目録作成を行った。まず、資料群の大部分を構成する「手紙」と、「領収書」、この二つが愛橘博士の同時代資料となる。ついで「研究会誌・パンフレット」「写真」「その他」と分類したものは、グラスゴー大学と資料を寄贈した松浦氏とのやり取りの中で蓄積された資料となる。「その他」に分類されているものは、愛橘博士の没後50周年を記念して造られた、松浦明氏デザインで知られる切手や、松浦氏がアーカイブズ宛に送られた手紙である。松浦氏が大学アーカイブズに寄付金を包まれた際の「水引」までもが、その資料請求番号を付与され、歴史資料として大切に保存されている。公開資料となっていることから、資料番号を記載し適切な手続きをとれば、この水引を見ることも可能である。

The arrangement of Dr. Tanakadate's records [UGC172]

The arrangement of Dr. Tanakadate’s records [UGC172]

田中舘愛橘資料の編成 [UGC172] 

さて、メインとなる手紙である。この分類については、おもに友人と家族、仕事・取引関係に大別したが、目録作成の際に指導いただいたアーキビストより、ケルビン卿からの手紙は他の手紙群とは分けるよう指示を受けた。ケルビン卿(ウィリアム・トムソン、1824-1907)はグラスゴー大学で愛橘博士の指導教授であった人で、当時世界最高の物理学者の一人である。10歳にして父親が教鞭をとるグラスゴー大学に入学、その後ケンブリッジ大で学んだ後、22歳でグラスゴー大学の物理学教授に就任、1904年には大学の総長となっている。物理学のあらゆる分野に業績を残したと言われ、その世界にあまり詳しくなくとも、物理で使用される温度の単位で卿の名に由来する「ケルビン」は、聞いたことがある人も多いだろう。イギリスの勲章で最高の栄誉とされるメリット勲章の創設時の受賞メンバーであり、その遺体は死後、ウェストミンスター寺院のアイザック・ニュートンの隣に埋葬された。生前は様々な大学からの誘いを受けるも、生涯グラスゴー大学を離れることはなく、そのことからスコットランドやグラスゴー、そしてグラスゴー大学にとっては特別な人と聞かされたものである。そのケルビン卿からの書簡については、「ケルビン卿」で資料を検索する利用者が見込まれることから、他から別にカテゴリーを立てるよう言われたわけだが、こういった分け方はアーカイブズでは特殊といえよう。

4.資料から見える愛橘博士の生活

愛橘博士の生立ちや日本での学生生活はもちろん、また帰国後に東京大学で教鞭をとられるようになって以降の物理学会等での研究をはじめとする世界的活躍はよく知られるところであるが、実はグラスゴーでの生活についてはあまり知られていないと聞く。本章では、筆者が博士の資料の目録を作成する際のメモの記述をもとに、博士のグラスゴーでの生活の一端を、眺めてみたい。

先にお断りしておくが、私は一介のアーキビストであり、歴史学者ではない。よって、資料の内容にかかわる歴史的・社会的文脈の位置づけについての分析を試みるものではない。また本稿を書くにあたって手元にある資料はというと、上述のようにグラスゴー大学アーカイブズで作業をしていた際に作成した、英語での目録のみである。人名についての漢字表記は失われているし、またそもそもくずし字を読むための訓練を受けたわけでもない私が辞書を片手に読み下した博士の友人たちの流麗な手稿を読みおおせたとはとても思えない。したがって、以下には多分に私の想像を働かせて描いた、推測としてお読みいただければ幸いである。

さて、博士がグラスゴーに来たのは人生のどの時期にあたるのか、簡単に確認してから本題に入ってみたい。

ご存知の通り、博士は1856年(安政3年)、南部盛岡藩に誕生する。1872年(明治5年)、一家で上京、その後慶應義塾、開成学校予科を経て、1878年に東京大学理学部へ入学。1882年同大学を卒業し准教授、翌年助教授となる。グラスゴー大学への公費留学は、1888年から1890年、博士が32歳~33歳の頃にあたる。1891年の帰国後、すぐに東京大学教授を拝命。そんな学問一筋に生きてきた博士が妻キヨ子と結婚したのは、38歳(1894年)の時であったという。

前章でも述べたように、グラスゴー大学が所蔵する愛橘博士関連の資料は、そのほとんどが松浦氏が寄贈した複写物である。その大半は博士がグラスゴー大学在学時に受け取った親族・友人からの手紙であり、その他、銀行や輸送会社との間で交わされたビジネスレターや、博士が物品を購入した際に受け取った領収書などで構成される。親族、友人の手紙は、愛橘博士が自身の身に起こった出来事を書き送った手紙に対する応答であろうし、博士の身にこれから起こる出来事(たとえばお茶会や旅行の誘い、出版の相談等)であろう。領収書からは時々に博士が必要としたモノがうかがえるはずである。これらを見ることにより、愛橘博士のグラスゴーでの生活を、いくばくか再現してみようというわけである(注4)。

以下、順を追って愛橘博士のグラスゴーでの生活を、根拠となる手紙を示しながら、追ってみることにしよう。

4-1.到着

愛橘博士が日本を旅立ったのは1月のことだが、1888年5月1日付のフクシゲ氏の手紙によると、愛橘博士に対するロンドンでの非礼を詫びるような内容から察するに、ロンドンを経由してグラスゴーに到着したと思われる。また、予定より20日ほど長くかかったことで所持金の心配をする下斗米典八郎氏からの手紙(1888年5月14日)も見られることから、到着は同年の3月頃であったのだろう(注5)。愛橘博士の無事の到着を喜ぶ親戚・友人からの多くの手紙は5月中旬付けとなっていることから、博士は到着後まもなく、彼ら宛の手紙を書いたのであろう。

グラスゴー大学に残る学籍登録簿(1888 Summer Session Matriculation Album)によれば、愛橘博士の滞在先はアーリントン通り(Arlington Street)22番地となっている。ちょうどグラスゴーのシティー・センターと呼ばれるエリアと大学の中間の辺りに位置し、付近を通った筆者の経験から言うと、大学までは徒歩で約15~20分ほどの距離である。

少し余談となるが、スコットランドをはじめとし、イギリスや欧米諸国ではFamily Historyと呼ばれる、自分の家族の歴史や家系図を調べることが近年、人々の間で人気である。そういった活動で最も利用される機関が、出生や結婚、死亡記録といった様々な公的記録を所蔵するアーカイブズ(公文書館)である。調査の手助けをするために、アーカイブズが所蔵する記録のデータベース化が様々な形で進められている(注6)。そのデータベースを頼りに調べたところ、愛橘博士が滞在していた頃のアーリントン通り(Arlington Street)22番地には、約8世帯程が居住者として記録にあらわれており、集合住宅であったと想像できる。博士の下宿先となったファーガソン夫人についても、記録に見える。ちなみにファーガソン夫人がアーリントン通り22番地に住んでいたのは1882年~1888年とされる。後述するが、博士は学期がはじまる9月に転居していることから、ファーガソン夫人自身の転居により、引越を余儀なくされたのかもしれない。なお、愛橘博士は、夫人からの夕食へのお誘いのカードを受け取っている(6月5日付)。

4-2.Social life

愛橘博士がグラスゴーに到着した頃、すでに何人かの日本人留学生が同大学で学んでいた。そのうちの一人で、愛橘博士がグラスゴーに到着して間もないころから頻繁に交流をしている一人が、真野文二(1861~1946)氏である。真野氏は東京帝国大学工学部の前身・工部大学校の出身で、卒業後助教授として在籍していた。真野氏がグラスゴー大学に学籍を置いていたのは1886~87年であるが、1889年に帰国するまで、イギリス各地の工場等で技術習得に励んだ。愛橘博士宛の手紙の中には、真野氏がロンドンの観光名所として知られるタワー・ブリッジ(1886年着工、1894年完成)の水力機関の設計にたずさわったことが見える(c1888年11月26日付の手紙)。グラスゴー大学在学中は、物理で首席、工学・機械学で次席、また工学の筆記試験での成績優秀者に送られるジョージ・ハーヴェイ賞を受賞するなど、非常に優秀な成績を修めている。愛橘博士にとっては、同じ分野を専攻した先輩留学生として心強い存在だったに違いない。

真野氏がグラスゴーに滞在していた頃は、「ハリソン氏」宅に下宿していたらしく、愛橘博士を下宿先に招待している様子が見られる(1888年4月5日付、5月8日付手紙等)。先輩留学生として、愛橘博士が少しでも早くグラスゴーの生活に馴染めるよう、配慮してくれたのかもしれない。

A view of the University of Glasgow from Kelvingrobe Park

A view of the University of Glasgow from Kelvingrobe Park

ケルビングローブ公園より、大学をのぞむ

5月8日付の真野氏からの手紙によれば、愛橘博士は氏と一緒に、グラスゴー大学の敷地の南隣に位置するケルビングローブ公園で開催されていた国際科学産業博覧会(International Exhibition of Science, Art and Industry)に訪れている。この博覧会はグラスゴーの町にとって初めて開催された国際博覧会であり、期間は5月8日から11月10日にわたるものだった。愛橘博士はまさに、開幕初日に会場を訪れたようである(博士はまた、博覧会と美術展覧会のシーズンチケットを購入している)。この後、愛橘博士の友人が国内外から博士を訪ねてきているが、博士に会うだけでなく、この展覧会も目当てだったかもしれない。博士を訪ねてきた友人は以下のとおりである。

・アメリカのピッツバークより、大木氏(7月)
・ケンブリッジより、稲垣氏(9月)
・パリより、和田氏(9月)
・S.ショウ氏(9月、居所については不明)

愛橘博士のグラスゴーでの生活を彩ったのは、博覧会や友人の訪問だけではない。博士は多くの「女性」から、お茶や食事の誘いを受けている。それを一覧にすると、以下のようになる。

この頃のグラスゴーは先にも述べたとおり、産業革命で富を得た人々がウェスト・エンドに多く居住していたため、有閑階級が社交界を形成し、サロンを開いて時々の「旬」な人を呼んで話をきくといったイングランド的慣習が広まっていたという。こういったサロンには、家の主人ではなくその夫人から招待を受けるのが慣例だったというから、おそらく上記の誘いのほとんどは、いわゆる「サロン」的集まりへの招待であったろう。

とはいえ、愛橘博士は誘いを受けただけではない。以下のように、女性にプレゼントを贈ったり、お茶に誘ったり等のことをされている様子もうかがえる。

興味をそそるのは、8月5日付の岩田武弥太氏(1887年から92年まで留学していた人物。愛橘博士が来るまで、アーリントン通り22番地のファーガソン夫人宅に住んでいたようなので、博士の住まいは岩田氏に紹介されたのかもしれない)の手紙である。それによると、愛橘博士がこの頃、女性から「不愉快な経験」を受け非常に立腹していたらしい。この不愉快な経験がいかなるものであったかはわからないが、お茶に誘うこともあったエリザベス・フィンドレイさんか、上記表には記載していないが、愛橘博士の家に遊びに来ている様子のあるファニー・ハリソンさん(真野氏の下宿先、ハリソン家に関わる人物と思われる)等と、なにがしかの関係を邪推してみたくもなる。あくまで、筆者の邪推に過ぎないことを強調しておくが、勉学だけでなかった愛橘博士のグラスゴーの日々を思うと、少しほほえましく感じてしまうのは筆者だけでないだろう。

4-3.学業など

愛橘博士のグラスゴーでの学業の様子を簡単に紹介して、本章を終わりたいと思う。

愛橘博士は、大学に学籍を置きながらも、学生というよりはケルビン卿の研究室の「Lab scholar」として所属したと思われる(1888年、澤井氏の手紙)。4月にはグラスゴー大学物理学研究会(Physical Society of Glasgow University)に入会。イギリスの大学は9月から新学期がスタートするため、博士はまず、「Summer Session」と呼ばれる夏期講座に在籍したらしい。以後、実験の日々であった様子がうかがえる。

7月頃のケルビン卿とのやりとりをみると、実験が不調続きであったことがうかがえる(7月1日付、ケルビン卿の手紙)。同じ頃、友人の岩田氏から、酒の飲みすぎを注意する手紙を受け取っている辺り、この不調はよほど苦しかったのかもしれない。筆者は物理学については全くの門外漢であるが、同月11日にケルビン卿より「弾道曲線」(ballistic throws)の観察について助言を受けている。この時の不調がいつまで続いていたかは不明だが、8月頃に、愛橘博士の日本での師であり研究仲間であったカーギル・ノット氏が、博士の体調を気遣う手紙を9月頃に送っていることから、やはり7月頃に気分がすぐれないことをノット氏宛に伝えたのであろう。博士はその後も何度か体調をくずすことがあったと思われ、かかりつけ医だったと思われるカーク医師に、年間の治療費2ポンド18シリングを支払っている(12月19日付領収書)。

9月、愛橘博士は、グラスゴー大学の自然哲学科の物理学研究室に入る。John Scott Clothier社の領収書によれば、この頃、8ギニーでモーニングコート、ベスト、ズボンの三つ揃えを購入しており(9月11日付)、入学に関わる何らかの式典のために揃えたのであろうか。当時、執事の年収が50ポンド前後だったと言われる時代の8ギニー(1ギニーが1ポンド1シリングに相当)であるから、なかなかのものである。

University of Glasgow Archives Services, University collection, GB248 R8/5/10/8

University of Glasgow Archives Services, University collection, GB248 R8/5/10/8

愛橘博士の学籍登録簿(グラスゴー大学アーカイブズ所蔵)

前頁の[原文のママ。上に掲載のもの。編者注]1888-89年の博士の学籍登録簿を見ると、住所がパーティック(Partick)のアッシュグローブ・テラス(Ashgrove Terrace)6番地となっている。この引越は9月上旬のものであったと思われ、新しい大家のドウ夫人に、9月4日付で家賃と洗濯代あわせて2ポンド17シリングを支払っている。このアッシュグローブ・テラスは現在、ガードナー通り(Gardner St)と名前を変えているが、記録によるとこの住所は三世帯が暮らす集合住宅で、ドウ夫人らが最初の居住者のようであるから、新築であったかもしれない。大学からはちょうど真西に徒歩で15分ほどの距離である。筆者は博士が住んだこの地域から10分と離れていないハインドランドに一時期住んでいたが、たまたま意図せず通りがかった際、その見開けた眺望のすばらしさにシャッターを切ったのが、上の写真[原文のママ。下の写真のこと。編者注]である。

A view from Ashgrove Terrace

A view from Ashgrove Terrace

アッシュグローブ・テラスからの眺め

10月、愛橘博士がグラスゴーに到着して以来、懇意にしていた真野氏(ニュー・カッスルのアームストロング社へ)と進経太氏(マンチェスターへ)が相次いでグラスゴーを去り、またカーギル・ノット氏が日本から博士のために送付してくれた100冊をこえる書籍が、船便で運ばれる最中に海水をかぶる被害にあう等(10月5~25日付、内外用達会社からの手紙)、つらい出来事が相次いで起きるが、一方で、積み上げてきた研究の成果が評価を受け始める時期でもあった。カーギル・ノット氏との共著 “Magnetic Survey of all Japan”が出版され、世界へと発信されたのである。

この共著については、7月~8月付のノット氏からの校正や判型のコスト等に関する手紙から見えるものである。これらの手紙を受け、博士がイギリスの出版社と取引をしている様子が見られる。筆者の読解力の低さより確実なことは言えないのだが、この取引先はどうも、現在も学術雑誌の出版会社で著名なTaylor & Francis社だったのではないかと思われる(10月、11月の同社からのメモ書き)。共著は王立協会をはじめ、British Associationや、諸外国の気象庁等にも送付されたらしい。10月以降、愛橘博士は各地の研究者より、称賛と感謝の手紙を受け取っている。

博士の留学生活は、グラスゴーでは1890年まで続き、その後ベルリンでのさらなる研鑽をへて、日本へと帰国するのである。

おわりに

以上、愛橘博士が暮らしたスコットランドとグラスゴー、そしてグラスゴー大学の紹介から、博士のグラスゴーでの生活をたどる拙稿におつきあいいただいた。

グラスゴーという街で私自身が体験したことであるが、慣れない外国での暮らしの中で、この国の人々の優しさ・おおらかさに、幾度助けられたか知れない。厳しい自然環境と、イングランドとの決して対等とは言えない長い確執の歴史の中ではぐくまれた人の痛みを知る気質をもつと言われるスコットランドの人々の思いやりは、厳しい学業を続ける中で、きっと博士の心を助けたことと思う。決して学業のみに没頭するだけにとどまらなかった、博士の豊かなグラスゴーの日々の一端を、お伝えできていれば幸いである。そしてまた、本稿を契機に、グラスゴー時代の愛橘博士についての本格的な研究がはじまることを祈念し、筆を擱くものとする。

[注]

(注1)グラズゴー大学アーカイブズはスコットランド、特にグラスゴーを中心に活動した企業資料(Business Archives)の収集活動で世界的に知られたアーカイブズであり、その規模はヨーロッパ一と言われている。

(注2)タウン=大学のある町に住む人々と、ガウン=大学関係者。黒い学服・ガウンを着ていることからそう呼ばれる。中世以来、この二者の間には、言葉や文化、異なる法制度等から様々な抗争が起こった。オックスフォードやケンブリッジ等の大学町の例はよく知られる。

(注3)グラスゴー大学アーカイブズ収集方針(http://www.gla.ac.uk/media/media_61203_en.pdf)より。

(注4)博士の手紙から、その日々をできるかぎり時系列に再現しようとするものではあるが、グラスゴーやその周辺にいる人々とのやり取りは手紙に記載された日付とほぼ同時期に起こった出来事と考えられる一方で、例えば日本から送付されたものの場合、博士がその内容を知ったのは当然、記載された日付の約一ヶ月後程度となることを、留意点として示しておく。

(注5)当時の日本―イギリスの船旅がどの程度かかるかは、例えば1867年パリ万博の際、使節として渡欧した幕臣一行が横浜―マルセイユ間を約50日で旅していることがある程度の目安となろう。

(注6) http://www.glasgowwestaddress.co.uk/ は、1836年から1915年の間の、グラスゴーのウェスト・エンドの各住所と世帯について簡単に検索できる民間のHPである。

〈参考文献〉

・北政巳『スコットランドと近代日本―グラスゴウ大学の「東洋のイギリス」創出への貢献』丸善プラネット株式会社、2001年

・加藤詔士「日本・スコットランド教育文化交流の諸相 ―明治日本とグラスゴウ―」(名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要56巻第 2号)、2009年

・小林照夫『スコットランド首都圏形成史―都市と交通の文化史論―』成山堂書店、1996年

・中村清二『田中館愛橘先生』中央公論社、1943年

・T.M. Devine, “The Scottish Nation 1700-2000”, The Penguin Press, 1999

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《著者について》

渡辺 悦子(わたなべ えつこ)

同志社大学文学部卒、同大学院修士課程(日本文化史学、修士)修了。同大学歴史資料館にて埋蔵文化財調査等に従事。その後、独立行政法人の法務処理部門等に在職。英国エセックス大学大学院歴史学科(ディプロマ取得修了)、同グラスゴー大学大学院修士課程(情報管理・保存学専攻、修士)修了。2013年より独立行政法人国立公文書館に勤務、現在に至る。


[書誌情報]

タイトル:グラスゴーの愛橘関連資料を読み解く
著者:渡辺 悦子
出版年:2016-03
資料の種別:記事・論文
掲載誌名:田中舘愛橘研究会会誌
掲載号:4
掲載ページ:2-28
出版者:田中舘愛橘研究会

[所蔵情報]

「田中舘愛橘研究会会誌」は岩手県立図書館に第1~3号が所蔵されています。
http://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&rft.title=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%88%98%E6%84%9B%E6%A9%98%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A&search_mode=advanced

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